なんかの動画で、世間はもうギターソロを求めていないという声に対し、有名ギタリストが「じゃあもっといいギターソロを弾かないと」と答えているのがギタリストの鏡みたいな美談として紹介されていました。
そう言っていたギタリストはたぶアメリカの有名な若手ギタリストです。
僕はこれを観て、バカなんじゃないかと呆れました。
まず、ギターソロがいらないというのはいいギターソロがないからもういいよということではなく、ギターソロそのものが楽曲のセクションとして不要だということです。
そういった要求に対し「もっといいものを!」というのは完全に問題をはき違えていますし、余計に音楽ファンやシーンとギターを分断する考えだと僕は思います。
例えばネットショップのニュースレターってうざいしいらないですよね?
その声を知ったショップが「じゃあもっといいニュースレターを書かなきゃ!」と言っていたらバカかと思いませんか?
そんな店もう使いたくないですよね。
ネットショップの存在意義ってニュースレターだけじゃないので、それがいらないと言われたら他のところに力を入れて顧客を獲得したり満足させたりするのが正しい対応でしょう。
ギターも然り。
ギターソロが要らないと言われたら、他のところでアンサンブルや音楽に貢献すればいいだけです。
要らないと言われているのに「じゃあもっといいギターソロを!」なんて言っていれば、余計にうとまれて人が離れていくだけでしょう。
ただ問題は、ギタリストがギターソロをまだ強固なアイデンティティとしていることです。
ギターの存在意義はもはやギターソロにはありません。
それはトレンドや好みではなく、時代の流れです。
今後もギターソロ不要論は加速していくでしょうし、それは誰にも止められません。
じゃあギタリストはどうすればいいのか?
伴奏で個性を出せばいいのです。
そもそもギターというのは伴奏楽器であり、ロックの台頭とディストーションの発見により偶然王様になっただけです。
もちろんギターが王様だった時代でもギターの9割以上の仕事は伴奏でした。
現在、1割以下のギターソロという仕事が不要になりつつあり、仮にそれが完全にいらなくなったとしても、残り9割の伴奏という仕事はそのまま手元に残っています。
これをしっかりやれば時代に即したギターが弾けるのに、なんで9割の仕事を棚に上げてギターソロに固執するのか意味が分かりません。
もちろん、ギターソロを楽しんだりたしなんだりするのはいいと思います。
僕もレッスンでギターソロを教えているし、それを拒否したり説教するということは一切ありません。
教えるのも自分でギターソロを弾くのも楽しいです。
ジャズなんてソロの権化みたいな音楽ですしね。
ただ、音楽の流れとして必要ないとされてきているというのはしっかり受け止めています。
そうでないとこれからプロを目指す生徒さんにプロで生き抜くためのギターが教えられませんからね。
ですからこれからのギタリストは、ギターソロをあくまで趣味やギター文化として個人的に楽しみつつ、時代に合わせたりプロを目指すためには伴奏をしっかり学び武器とする必要があります。
これがギタリスト、ギター講師としての僕の持論です。
なので、
世間「ギターソロいらない」
ギタリスト「じゃあ伴奏で個性出そう!」
が時代に即した正しい対応だと僕は考えます。
伴奏に役立つハーモニーの仕組みを学びたい人は拙著「ギタリストのためのハーモニー」をどうぞ。