近年のロックの衰退やギターヒーローの訃報で、なんかだんだんロックやギターというものを冷静に見られるようになってきた気がします。
そこでふと、タブーとも言える事実に気づいてしまいました。
それは……
エレキギターの成熟・完成を邪魔してきたのはロックじゃね?
ということです。
言うまでもなく、エレキギターはロックが普及し、世界中に浸透しました。
また、時代時代に生まれたギターヒーローたちが革新的なプレイでエレキギターの可能性を広げていきました。
そうしてエレキギターは最もポピュラーな楽器として愛されるものとなりました。
ただ、誕生から70年経った今でも楽器として完成はおろか、成熟すらまだしていないというのが現状です。
例えば、フォームについての研究も近年やっと始まったばかりだし(ちなみに先鞭を付けたのは僕です)、怪我については認知すらされていないし、予防法・治療法もほとんど誰も知らない、習得法や練習法も根性論や意味のないものがまだまだまかり通っているという状態です。
さらに、ギタリストはコード知らなくて当たり前、譜面読めなくて当たり前、理論知らなくて当たり前、ギターキー以外弾けなくても仕方ない、楽器のメンテなんかしない、楽器は剥き出しで部屋に飾る、さらにはステージで壊すのが格好いい!……という認識がまかり通っており、ギタリストがそれを乗り越えたり反省しようとする気風すらありません。
なぜでしょう?
なぜなら、それがロックだからです!
フォームなんか考えないのがロック!
怪我しても弾くのがロック!
練習なんてしないのがロック!
1日24時間弾くのがロック!
コード知らないのがロック!
理論知らないのがロック!
譜面読めないのがロック!
キーはEとAとD以外弾けないのがロック!
楽器を大切に扱わないのがロック!
楽器を壊すのがロック!
上記はほぼ全てギターの可能性を制限し、成熟・完成を阻む要因でしかありません。
つまり、
エレキギターを広めたのはロック、エレキギターを未完成のままにしているのもロック
ということです。
しかし、そのロックがとうとう衰退しはじめ、ギタリストやロック関係者がようやく冷静になりはじめました。
とあるロック評論家の重鎮はラジオか何かで「ロックは調子に乗りすぎたのがダメだった」と語ったとか。
ギタリストはそろそろロックが何だったのかを冷静になって考える時期ではないかと思います。
特に「ロック的なもの」がもたらした功罪を客観的に分析し、いいものはいい、でも悪いものは悪い、悪いところは反省し改善するという時期に来ている気がします。
「楽器壊すのってやっぱよくないよね」
「フォームって大事だよね」
「やっぱ和音楽器だからコード知らないと」
「いろんなキーで弾けたほうがいいよね」
「練習は大事だけど、科学的な取り組み方が重要だよね」
といった考え方が当たり前になっていくと、エレキギターは近い将来ピアノやヴァイオリンのように楽器としての完成を見ることができるでしょう。
それは、エレキギターからロック的なもの(特に悪い方の)を排除する作業になります。
これがどれだけ困難かはギタリストなら分かるでしょう。
余談ですが、僕は2009年の「ギタリスト身体論(1)」発表以来ずっとエレキギターの成熟・完成のために啓蒙してきたつもりです。
それでもエレキギターの完成を阻んでいるのはロックだとはつい最近まで考えたことすらありませんでした。
そして、この考えに至ったとき、背筋が震えました。
僕もロックに熱狂してきた人間ですしね…。
ロックの罪をしっかりと認めて、これからのギターの発展を追いかけるのか、それともロックと共に滅んでいくのか、どちらを選ぶかはギタリストの自由です。