1990年
WEA Music
作詞・作曲:槇原敬之
マッキーのデビューシングル。
本作には、槇原氏の主題の萌芽がしっかりと見て取れます。
- ダメな僕
- そんな僕を救ってくれた君
ただし、本作では主人公自身が自分を「ダメ」とは認識できておらず、彼女もそんな主人公を救ってはいません。
この主題は「もう恋なんてしない」「どうしようもない僕に天使が降りてきた」など、初期の名曲で華開きますし、もっと近年の楽曲にもやや形を変えて踏襲されています。
デビューシングルらしい荒さと、そこに芽吹いた槇原的主題を読み取っていきましょう。
ボタンが取れているだけで
着れないシャツを持ったまま
君がもうこの部屋にいないことを
確かめていたけれど
ここで分かることは、
- 君と別れた
- 主人公はシャツのボタンを付けるのも君にやってもらっていた
自立していない甘えた男性像が浮かび上がります。
また、君とは同棲していたっぽいです(これは後ではっきりします)。
この時点で「もう恋なんてしない」にかなりシチュエーションが似ています。
忙しい日々の隙間の
中途半端な空白で
細い背中を思うのがなにより辛い
こういった主語が抜けた詩を読むときは、自分で主語を入れてみるとすっきりします。
(僕の)忙しい日々の隙間の
中途半端な空白で
(君の)細い背中を思うのがなにより(僕は)辛い
こうすると、誰が誰に何を思っているのかがはっきりします。
ここでひとつ重要なポイントがあります。
それは、主人公が別れた相手を思っているようで、実は自分の辛さを訴えているということです。
めざめた僕の首筋に君の長い髪を
感じられたあの日々を取り戻したい
要するに、もっかいヨリを戻したいと思っています。
これ自体は別に普通ですが、一度全部読んでから読み返すとふつふつと怒りが湧いてきます。
二人で暮らした日々よりも
誰かの噂を信じた
僕になぜうつむいたままで
言い返せなかったの
まず、【二人で暮らした日々】とあるので、同棲確定です。
さて、ここがちょっと入り組んでいるので事実をまとめましょう。
- 誰かの噂を信じた僕
誰かが彼女に対してのよからぬ噂を耳にし、それを主人公に言った。主人公はそれを鵜呑みにして、彼女を問い詰めた。
- うつむいたままで言い返せなかった
あらぬ噂で問い詰めてくる主人公に対して反論できなかった彼女。
ここでひとつ疑問が湧いてきます。
もし彼女が潔白だったとしたら、なぜ言い返さなかったのでしょうか?
もしかして、彼女は本当に噂通りやましいことをしていたのでしょうか?
ここに関して答えはどこにもありませんが、なんとなく彼女は潔白である雰囲気が行間に漂っています。
ではなおさら、なぜ言い返さなかったのか疑問ですよね?
その答えは作中に存在します。
この主人公は、彼女を家政婦かなにかのように扱い、その彼女を思う自分の辛さを訴え、誰かの噂を鵜呑みにして彼女を問い詰めるような自己中で独善的な人間です(これは後半にもまだまだ出てきます)。
たぶん、彼女からしたら問い詰められている時点でもう心が切れて、反論するだけ無駄、これが終わったら出ていこうと決めていたのでしょう。
あるいはその前からもう限界に感じていたのか。
DVに近い状態に置かれて、心身共に衰弱し、反抗もできなくなっていたのかもしれません。
しかし主人公は独善的で子供じみた性格なので、それが分かりません。
だから【なぜ言い返せなかったの?】とあっけらかんとしています。
2番です。
とても長い時間をかけて
解ることもあるよと
きのう電話で友達が
話してくれていたけれど
ここでちゃんと【友達】の心情を読み解くことで、本作への理解が進みます。
例えば誰かに相談をされて、「長い時間をかけて解ることもあるよ」と答えるケースを想像してみてください。
たぶんこいつに本音を言っても無駄だけど、友達として切るにはしのびないし、とりあえずそれっぽいことを言ってこの場を切り抜けておきたいときにこういうことを言う気がします。
この主人公は、友達にすら呆れられている印象です。
僕にも一つ気づくのに
遅すぎたことがあるよ
君が僕の景色にいつもいた
大切な毎日
ここでもまた主人公の性格が出ていますね。
彼女を「僕の景色にいつもいた(人)」と表現していますが、やはりどこか独善的です。
男性に「君は僕の大切な景色なんだ」と言われて喜ぶ女性はいますかね?
たぶんキレられるでしょう。
反省しているようで、自己中心的な思考から全然出られていない主人公が目に浮かびます。
私電の高架下
君が聞き取れないから
何度も好きと言わされた
あの日さえ陰る
やっとほっこりしたエピソードが出てきたと思った人は、甘いです。
これもよく読めばやはり主人公の独善的性格が浮かんできます。
主人公は【私電の高架下】という微妙な場で告白したようです。
声は響くし、電車が通れば聞こえないのは当たり前でしょう。
それを主人公は【君が聞き取れないから】と相手のせいにしています。
しかも【何度も好きと言わされた】とまるで迷惑をこうむったかのような言い草です。
さらにそれをいい思い出であるかのように回想しています。
もしこの主人公がちゃんと反省していたら、「変な場所で告白して、何度も聞き返させてごめん、もう一度ちゃんと告白しなおしたい……」といった感じになるはずです。
しかし彼は、「お前のせいで何度も好きって言わされたことがあったけど、あれもいい思い出だったなあ…」となぜか悦に入っています。
相当ヤバい人間ですね。
自分の弱さも知らないで
強く責めたあの夜
【強く責めたあの夜】とは、噂を問い詰めた日のことでしょう。
では【自分の弱さ】とは何でしょうか?
これは、【別れた彼女の細い背中を思って辛くなる】ことです。
彼女を責めていたとき、主人公は『こんなやついなくなってもどうってことない!』と強気でいたのでしょう。
しかし、いざ彼女がいなくなるととても辛くなります。
自分ってこんな弱いやつだったのか? と愕然とします。
主人公は、自分がこんなに辛くなるのなら彼女を責めなければよかったと後悔しています。
やはり独善的な人間ですね。
確か部屋には降りだした
雨の匂いがしてた
今も部屋には降りだした
雨の匂いがしてる
最後の最後に、急に雨の描写が出てきます。
作品のトーンには合っていますが、唐突ですね。
ちょっと無理矢理まとめた感じがあります。
この辺に荒さを感じます。
槇原氏の歌詞には、かなり初期の段階からちゃんと答えが用意されています。
そのわかりやすさで彼は大衆の心を掴みました。
しかし本作では、およそ共感できない性格のねじ曲がった主人公が、反省しているようで全然していず、うじうじした感情が雨に溶けていくという、まるでめんどくさい日本文学のように終わります。
まだ槇原敬之として完成していない作品です。
一方で既に述べたように、槇原的主題がはっきりと萌芽している、そういったところが面白いです。
最後に、タイトルの「NG」とはどういう意味でしょうか?
これは恐らく、主人公のことでしょう。
槇原氏が、恐らく自分の分身である主人公を歌にして客観視したとき、『こいつNGやわ~』と思ってこうタイトルをつけたのではないかと思います。
実際楽曲自体も「ダメな主人公」の紹介だけで終わっていて、そこに反省や救いが出てきません。
また、作者である槇原氏と主人公の間に距離を感じます。
まだ作曲したりそれを歌うことに対して100%向き合えていない時期の曲なのかもしれません。
そういった意味で粗く未完成な印象は強いのですが、後の「もう恋なんてしない」などのダメ男シリーズで同じ主題を見事に昇華させ、ヒットしているところをかんがみると、己の主題に粘り強く取り組む姿勢が見えてきます。
また別の見方をすれば、薬物で二度も逮捕されていることで、歌の主人公の「ダメな僕」とは槇原氏自身であることも想像できます。
もしかしたら槇原氏は、「ダメな僕」を歌にし続けることで、誰かに気づいてもらい、救ってもらおうとしていたのかもしれません。