作詞:サンプラザ中野
作曲:嶋田陽一
1985年 Sony
公式動画【令和元年Ver.】
ペンフレンドの二人の恋は
つのるほどに悲しくなるのが宿命
また青いインクが涙でにじむ切なく
ネットも携帯もない時代、なにかのきっかけで文通をはじめた男女が手紙のやりとりを通して恋心をつのらせている。
既に「ふたりの恋」と言っているところから、関係性は文通にせよかなり進んでいると思われます。
文通期間も長いのでしょう。
それ故にか、何か悲しい障壁があるようです。
「また」「涙でにじむ」とあるので、ここしばらくはずっと手紙を書けば書くほど悲しくなってくるみたいです。
では何が起こったのか?
そこには一切触れていないので、想像するしかありません。
とにかく、ずっと手紙のやりとりをしていて、何か色々あったというところから物語がスタートしているという点を理解して先に進みましょう。
若すぎるから遠すぎるから
会えないから会いたくなるのは必然
貯金箱こわして君に送ったチケット
どうやらお互い若くて、しかもかなり遠距離のようです。
これが障壁なのでしょうか?
しかし、それが故に会いたい気持ちが余計に強くなっていきます。
個人的に、この主人公は中学生だと思います。
高校生ぐらいならバイトでもしてどうにか会いにいけるような気がします。
「貯金箱こわして」というのも中学生っぽいです。
さて、主人公はとうとう気持ちが抑えきれず、何かのために貯めていたお金で衝動的にチケットを買って君に送りました。
このライブのためにお金を貯めていたのならたぶん別の表現になるでしょう。
「こわして」という部分に勢いを感じます。
君に送ったのはライブのチケットだと後の歌詞からわかります。
もしかしたら電車のチケットでもあるのかもしれませんが、どっちでもいいでしょう。
定期入れの中のフォトグラフ
笑顔は変わらないけど
あの大きな玉ねぎの下で
初めて君と会える
どうやら手紙だけじゃなくて写真も交換していたようです。
そんなところからも親密さがうかがえます。
もしかしたら手紙でプロポーズし、結婚の約束までしていたのかもしれません。
主人公は君の写真を大事に定期入れに挟んで、きっと毎日眺めていたのでしょう。
写真でしか見たことがないこの娘とついに、「あのおおきな玉ねぎの下」、つまり武道館で会えるのです!
「玉ねぎ」とは武道館の屋根の「擬宝珠」を指します。
https://www.nipponbudokan.or.jp/about/gaiyou
「はじめて君と会える」という高揚感と、これからサビに入るという展開が完全に一体化して、異様な盛り上がりを見せます。
九段下の駅を下りて坂道を
人の流れ追い越してゆけば
黄昏どき雲は赤く焼け落ちて
屋根の上に光る玉ねぎ
九段下から武道館まで。
(Google Map)
さて、ライブ当日、武道館に向かう主人公。
当然、同じライブに行く人が何百人、何千人といて、主人公ははやる気持ちを抑えきれずにその人の流れを小走りに追い越していきます。
この歌詞がゆったりしたバラードに小気味の良い疾走感を与えています。
ライブですから時間は夕刻、雲が赤く染まって武道館の屋根の上にあるたまねぎを輝かせます。
ずっと想いを抱いていたペンフレンドと今日初めて会える、それも大好きなバンド(あるいはアイドル……ここはなんでもいい)を一緒に観られる!
少年の瞳には武道館の屋根にあるたまねぎが、自分と彼女の未来のように光り輝いていたことでしょう(←これが後で効いてくるので覚えておきましょう)。
ペンフレンドの二人の恋は
言葉だけがたのみの綱だね
何度もロビーに出てみたよ
君の姿を探して
この「言葉だけが頼みの綱だね」がちょっと分かり辛いですが、ここは後のフレーズから振り返ると理解できます。
「何度もロビーに出てみたよ 君の姿探して」とあるので、彼女はどうやら来ていないようです。
じゃあそもそもちゃんと約束を取り付けたのかというと、歌詞には出てきませんが、行間から取り付けていることがわかります。
主人公が「頼みの綱」にしている「言葉」を想像すればわかります。
君はきっと返事で『嬉しい』『楽しみにしている』『武道館で会おうね』と何度も書いてきたのでしょう。
主人公はもちろんそれを信じています。
しかし当日君が来ない……スマホも携帯もないので連絡の取りようがない……だから手紙で『行く』と返事してきた(←歌詞には書いてないけど)「言葉」だけが「頼みの綱」ということです。
主人公はその言葉だけを信じて君を待ちます。
スマホで簡単にやりとりができる現代では成立しない場面でしょう。
アナウンスの声にはじかれて
興奮が波のように
広がるから 君がいないから 僕だけ淋しくて
開演のアナウンスが流れ、それと共に観客の興奮が一気に広がっていきます。
それでも君は来ません。
君の返事読み返して席を立つ
そんなことをただ繰り返して
時計だけがなにも言わず回るのさ
君のための席がつめたい
主人公は懐に忍ばせてきた手紙を読み返してみます。
もしかしたら何か重大なことを読み落としていたのではないか?
ライブに来ると書いてあったのはもしかして自分だけに見えた幻なのか?
そんな主人公の焦りが目に見えてきます。
そして何度も席を立って入り口やホールをうろうろしたのでしょう。
会場から漏れてくるライブの音は、きっと主人公の耳には入っていません。
ひとしきりうろうろして、もしかしたら入れ違いになって今頃席に座っていたりして……と思って急いで席に戻っても、それでもやっぱり君は来ません。
アンコールの拍手の中飛び出した
僕は一人涙を浮かべて
千鳥ヶ淵月の水面振り向けば
澄んだ空に光るたまねぎ
とうとうライブは本編が終了し、アンコールになってしまいました。
主人公はいたたまれなくなって飛び出してしまいます。
千鳥ヶ淵(武道館を囲むお堀)の水面にふと何かがきらめいたのでしょう。
振り返ると空にあのたまねぎが光っていました。
数時間前にはあんなに光輝いていたたまねぎが、今の主人公にはきっと全く別のものに見えたことでしょう。
九段下の駅へ向かう人の波
僕は一人涙を浮かべて
千鳥ヶ淵月の水面振り向けば
澄んだ空に光るたまねぎ
さて、とうとうライブも終演し、帰宅する人の波が九段下の駅へ向かっています。
人の「波」としたのは千鳥ヶ淵の水面にかけているのでしょうか?
また、ライブの終演は失恋のメタファーでもあるのでしょう。
主人公は涙を浮かべながら水面をぼんやりと眺めています。
もう何も行動していないところから、諦めた様子が感じられます。
そして空にはあのたまねぎ……。
それにしても、「君」は手紙で来ると言っていたはずなのに、なぜ来なかったのでしょうか?
男性としては謎でしかありませんが、女性からすればなんとなく分かるのかもしれません。
まるで青春小説のようなストーリー性を持つ名歌詞です。
あと、個人的に素晴らしいと思うのは、歌詞の語数とメロディの音数が完全に一致していることです。
よく字余りで「~さ」とか「~だよ」と語尾を整えている歌詞がありますが、個人的にはあれが嫌いです。
ちょっとしたことですが、歌詞とメロディがピタっと合っているだけで楽曲の精度が増す気がします。