BMGファンハウス
2005年
作詞作曲:スキマスイッチ
本作には、現在の自分と過去の自分が存在します。
さらに、その関係性が1番と2番で微妙に変化します。
1番
過去の自分→何かを目指してもがいている
現在の自分→成功している
成功した自分が過去の自分にエールを送っている
2番
過去の自分→周りに輝いていたものがあった
現在の自分→仕事ばっかで笑えない
成功したが楽しくない、過去を振り返って大事なものを忘れてきたことを思い出す
この構造にサビが絡んでき、主人公の中で「全力少年」の意味や定義が変化していきます。
そして最後に答えに到達します。
これを念頭に見ていきましょう。
躓いて転んでたら置いてかれんだ
泥水の中を今日もよろめきながら進む
汚れちまった僕のセカイ 浮いた話などない
染み付いた孤独論理 拭えなくなっている
一読して、何かを目指してもがいていることが分かります。
タイトルに「全力少年」とあるので、少年だと思いますが、もちろん女の子が自分のことと捉えるのもOKです。
競争原理の中に自分を投じ、まだ結果も出せずにもがき、恋愛も青春も捨てて孤独にも慣れてきた……、ミュージシャン、漫画家、スポーツ選手など、何かのプロを本気で目指している少年(少女)の様子を見事に描写しています。
ただ、よく読んでみると本人がそう感じているというのではなく、第三者的視点であることが分かります。
これは冒頭で述べたように、成功した主人公がもがいていた少年時代の自分を回想しています。
直接的な描写がないので分かり辛いかもしれませんが、2番まで読み進めるとそう確信できます。
試されてまでもここにいることを決めたのに
呪文のように「仕方ない」とつぶやいていた
競争原理に身を投じて常に試される覚悟は持っていたんですが、なかなか上手くいかずいつしか諦めムードになっていたようです。
そうした過去の自分に未来の自分がエールを送ります。
積み上げたものぶっ壊して 身につけたもの取っ払って
止め処ない血と汗で乾いた脳を潤せ
あの頃の僕らはきっと全力で少年だった
セカイを開くのは誰だ?
一読すると、誰かが誰かに言っていることが分かります。
”誰に?”は【あの頃の僕ら】だろうと想像がつきます。
では”誰が?”
それは2番を読むことで分かります。
エールを送っているのは成功した自分です。
そこから考えると、成功した自分が過去を振り返って『今はいろいろ大変な時期だろうけど、そのままもがいて進んでいけばセカイを切り開くことができるから大丈夫だよ』と言っていることがわかります。
ここで【あの頃の僕】ではなく【あの頃の僕ら】というのが気になります。
主人公が過去の自分を回想しているのに、なぜ複数なのでしょうか?
恐らく、当時の自分と仲間(多くは諦めて去って行った)も含めて言っているのでしょう。
成功した自分だけじゃなく、挫折したり諦めた仲間たちもひっくるめて『よく頑張ったよ』と今の自分が慰撫しているんだと思います。
また、音楽なら音楽を諦めたとしても、他の道で【セカイを切り開く】ことができるとエールを送っているのかもしれません。
細かいことですが、【あの頃の僕らはきっと】という点も見逃せません。
【きっと】という言葉には、確証がありません。
成功した主人公は、昔を振り返って、たぶんあの頃を僕らは【全力少年】だったんだろう……と予測します。
なぜそんなことをするのかというと、現在の自分が【全力少年】ではないと気づいたからです。
それを前提に2番に進みましょう。
遊ぶこと忘れてたら老いて枯れんだ
ここんとこは仕事オンリー 笑えなくなっている
1番の【置いてかれんだ】が2番になって【老いて枯れんだ】となっています。
これは単純な言葉遊び以上にちゃんと意味があります。
いずれも焦燥感を表現しているんですが、ちゃんと主人公の年齢に対応しています。
1番の主人公は少年です。
「置いてかれる」という言葉には、少年らしいあせりや劣等感、競争の中での不安が感じられます。
2番の主人公は大人になっています。
成功はしているものの、今度は中年らしい体力の衰えや想像力の枯渇から来る新たな不安や劣等感が生まれてきます。
それを「老いて枯れる」と表現しています。
このように、主人公の年齢や歌詞の構造をきちんと理解した上で読むと、言葉遊び以上の深みが理解できます。
さて、A’の二行を一読して、時間がぐーっと先に進んだことが実感できます。
1番を含めて考えると、少年だった主人公が大人になって自嘲しているらしいということが分かります。
また、主人公は【遊ぶこと忘れ】て【笑えなくなっている】ぐらい仕事に忙しくしているようです。
このことから、成功していると考えていいでしょう。
この主人公は少年時代、夢に向かってがむしゃらに頑張っていたので、成功したということは夢を掴んだと思われます。
それ自体はいいことなんですが、どうやら毎日が楽しく充実しているのではないようです。
夢は掴んで成功したけれど、どうも思い描いていたのとは違う、こんなはずじゃなかった……というのはよくある話です。
また、主人公は仕事の忙しさから、『このままだと老いて枯れてしまう…』と焦燥感を抱いています。
ガラクタの中に輝いてた物がいっぱいあったろう?
「大切なもの」全て埋もれてしまう前に
そして、主人公は改めて過去を振り返ります。
泥水の中をよろめきながら進んでいたあの頃、当時の自分には【ガラクタ】に見えてしまいスルーしていたものが、大人になって成功した今振り返ってみるとキラキラと輝いて見えています。
主人公は大人になって、かつて無駄だと思っていたもの、くだらない、必要ないと思っていたものの大切さが改めて理解できました。
まだぎりぎり間に合うんじゃないか?
そうした【大切なもの】が【全て埋もれてしまう前】に動き出せば、まだ【老いて枯れ】ることを防げるんじゃないか……
さえぎるものはぶっ飛ばして まとわりつくものかわして
止め処ない血と涙で 乾いた心臓潤せ
あの頃の僕らはきっと全力で少年だった
怯えてたら何も生まれない
2番のサビは、今の自分へのエールと考えていいでしょう。
大人になって成功したことで生まれた制約や新たな障害を乗り越えていけ!と自分に言い聞かせているようです。
また、1番と同じ【あの頃の僕らはきっと全力で少年だった】というフレーズが出てきますが、これは大人になった主人公が【全力で少年だった】自分や仲間たちに改めて憧れていると考えられます。
ここへきて、主人公の中に【全力で少年】であることの意味が再構築されます。
1番は成功者の立場から『うんうん、あの頃は全力で頑張ってたなあ…、だから今の自分がいるんだろう』という余裕がありますが、2番には『あの頃はあんなにキラキラして、大切なものが周りにいっぱいあったのに、今の俺は……』という悔恨が感じられます。
そして、一度成功した主人公は、【全力で少年だった】過去の自分を振り返り、新しい一歩を踏み出します。
淀んだ景色に答えを見つけ出すのはもう止めだ!
濁った水も新しい希望ですぐに澄み渡っていく
【淀んだ景色】というのは、成功した主人公が見ている景色のことです。
大人になっていろんなことがあり、「まあ、世の中そんなもん」「この歯車の中でやってくしかないよね」と悟ったようなことを言うのはもうやめだ!と主人公は誓います。
【新しい希望】というのは、【全力で少年だった】自分から再発見した【大切なもの】です。
それが、【濁った水】=自分とその周りの社会を【澄み渡】らせてくれると主人公は信じられるようになりました。
積み上げたものぶっ壊して 身につけたもの取っ払って
幾重に重なり合う 描いた夢への放物線
紛れもなく僕らずっと 全力で少年なんだ
セカイを開くのは僕だ
視界はもう澄み切ってる
主人公は既に成功しているんですが、ここから新たな夢に向かって動き出しました。
そして主人公は【紛れもなく僕らずっと 全力で少年なんだ】と再確認します。
これまでは【全力で少年だった】と過去形でしたが、最後に【全力で少年なんだ】と今の自分も含めて確認しています。
また、個人的にここでの【僕ら】はリスナーも含めてのことだと思います。
ここではじめて「君たちも【全力少年】なんだよ」とリスナーにメッセージを送っていると感じられます。
そして、主人公は一周回って【全力少年】となりました。
これが本作の着地点です。
ここから受け取ることができるメッセージは多岐にわたるでしょう。
いつまでも少年の心を忘れちゃだめだと取る人もいれば、成功に甘えてたらすぐに人はダメになってしまうと捉える人もいるでしょう。
それは自由です。
個人的に面白いなと思うのは、この歌詞から陰陽思想が見えてくることです。
過去の自分が陽、成功した自分が陰だとしましょう。
陽の主人公は陰を目指します、一方陰となった主人公は陽に憧れます。
ロマンティシズムを追うと、主人公が成功を捨てて青春に帰る物語となり、リアリズムを追うと主人公は過去の青春を捨てて寂しさを隠しながら成功を享受します。
しかし本作はそのどちらも回避して、陰と陽を合体させ別の答えに到達します。
普通、陰と陽の合体に向かうと答えが抽象的になってしまい、難解な歌詞となるはずなんですが、スキマスイッチはそれに「全力少年」というわかりやすいキャッチコピーをつけて、見事にポップに仕上げています。
そこが秀逸であると僕は感じます。
最後に、歌詞を分析してみると、「全力少年」はかなり泥臭いポップスであることが分かります。
少年がもがき苦しんでいる状態をしっかりと描き、さらに成功した主人公さえも叩き潰します。
そして、そこから希望を見つけて這い上がらせます。
どこか「あしたのジョー」的な昭和のスポ魂臭すらただよってきます。
この泥臭さと、そこに一瞬キラッと光る何かが一般大衆の実人生とリンクするところがあり、それがヒットにつながったんじゃないかと思います。
スキマスイッチといきものがかりはわりと同じカテゴリーに入れられることが多い気がしますが、個人的には、いきものがかりのようにやたらキラキラしてるけど一歩も踏み出さないハリボテのポップスと、スキマスイッチの泥臭い力強さぜんぜん質が違うと思います。
どっちが好きかは自由ですが。