2014年10月18日リリース。
作詞:秋本康
作曲:川浦正大
校庭の端で反射してた
誰かが閉め忘れた蛇口
大事なものがずっと流れ落ちてるようで
風に耳を塞いでた
最初の【校庭】のたった一言で、舞台は学校、登場人物は学生だと想像できます。
あいからわずキレキレの歌詞です。
主人公は何かもやもやした問題を抱えているようです。
一見静止画的な描写ではありますが、【流れ落ちてる】【風】などの動きや音も含まれており、退屈さを回避しています。
僕の心の片隅にも出しっ放しの何かがあるよ
このままじゃいけないと そう気づいていたのに
見ないふりをしていたんだ
ここでカメラワークを想像してみましょう。
最初は校庭をやや引きで映しており、その画角の隅あたりに主人公もいます。
それがいきなり主人公のアップに切り替わります。
元TVマン(構成作家)らしい演出です。
【校庭の隅】と【僕の心の片隅】が呼応しており、ある意味このふたつがイコールの存在と暗喩しています。
校庭(学校)=自分の心、つまり学生ということです。
また、ここから主人公の心がまだ狭いという印象も受けます。
これはサビの抜け感や広がりを演出するための装置でもあります。
文章としては、一人称の視点からモノローグに切り替わり、主人公の心の中が描写されます。
主人公は【このままじゃいけない】と【気づいていた】のに【見ないふりをしてい】るようです。
思春期らしい葛藤や、変身・成長への希望が感じられます。
これはそのまま後半へとつながっていきます。
ここまでで重要なのは、視線誘導です。
まず舞台は【校庭】で、【流れ落ちる】という描写から視線は必然的に下に向きます。
そこからサビで一気に視線が上に向かいます。
何もないところから視線が上がるより、一度落としてからの方が振り幅ができるのでそうしたのでしょう。
膨大な時間と 何だってできる可能性
自由はそこにある
いきなり主人公は何かに気づきます。
第三者からの啓示や、秋本氏からメンバーやファンに向けたメッセージとも読み取れますが、歌詞を読み進めていくとこれが主人公の気づきだと分かります。
何度目の青空か? 数えてはいないだろう
陽は沈みまた昇る 当たり前の毎日 何か忘れてる
何度目の青空か? 青春を見逃すな
夢中に生きていても 時には見上げてみよう (晴れた空を)
今の自分を無駄にするな
本作の聞き所は、なんといってもこのサビの「抜け感」でしょう。
視線が下がったところから一気に真上に向かうダイナミズムや景色の広がりは李白を彷彿とさせます。
もやもやとしたAメロ、Bメロの突然の気づき、そこから【青空】という言葉を出すことで「抜けた感じ」もあります。
本作の設定、心情、情景など全てはこのサビのための装置と考えてもいいかもしれません。
では【青空】とは何か?
大切な何かに気づいた瞬間、そのときの晴れ晴れとした心持ちのことでしょう。
【何度目の青空か】なので、過去にも同じ感覚が何度もあったようです。
また、【夢中に生きていても時には見上げてみよう】とあるので、夢中に生きる=【青空】というわけではないようです。
【青空】とは行動ではなく、認識の刷新と捉えるのが妥当でしょう。
蛇口の水に触れてみたら
その冷たさに目を覚ましたよ
ほとばしる水しぶき 与えられた命は掌に重たかった
ここでまた校庭のシーンに戻り、あの蛇口が再登場します。
サビで一度上がった視点を再度また下げます。
次のサビで新たな抜け感を演出するためには、一度視線を下げる必要があります。
校庭の蛇口からはまだ水が流れています。
ということは、主人公の【心の片隅】からも、まだ何かが流れているということです。
Aでは認識するだけでしたが、A'で主人公はその水=自分心の片隅から【出しっぱなしの何かに】触れてみます。
少し成長したということでしょう。
【その冷たさに目を覚ました】とありますが、ここでいう【冷たさ】とは冷酷さではありません。
主人公の【心の片隅】から流れている【何か】は、どうやら自分の【命】そのものだったようです。
では【冷たさ】とは?
水の上質さや清らかさのことでしょう。
つまり主人公は、何度目かの【青空】を体験することにより、自分が心の片隅から命を出しっぱなしにし、無駄に消費していたことに気づいたのです。
いつかやるつもりと 頭の中で思ってても
永遠は短い
主人公の元に再度気づきが訪れます。
Bでは自分に【膨大な時間】があると認識しましたが、ここでは一歩進んでその永遠ともとれる時間が実は限りがあることに気が付きました。
そして、【いつかやる】と思っているうちに【永遠】はすぐに終わってしまうということも。
また視線が一気に上昇し、一度目のサビと同じ抜け感が表現されています。
目を閉じてみれば聴こえて来るだろう
君が出しっ放しにしてる音
僕らも空も晴れだけじゃない
【青空】=気づきを得た主人公が、自分と同じように命をただ出しっぱなしにしている他者に警鐘を鳴らしています。
最後の一行がちょっと難しいです。
【晴れ】はハレ、つまり清々しい気持ちのいい状態ということでしょう。
【空】の【晴れ】は気づきを与えてくれる何か、そして【僕ら】の【晴れ】は気持ちのハレということでしょうか。
いいことはそんなにしょっちゅう起こらないよ、ということでしょう。
この次の青空は いつなのかわからない
だから今 空見上げ 何かを始めるんだ
今日できることを
ここへ来てやっとメッセージがはっきりしました。
【青空】から気づきを得たならそこから行動しようというのがこの曲のメッセージのようです。
この次の青空は 自分から気づくだろう
涙が溢れてても 太陽は滲まないさ (ちゃんと見れば)
君はもっと強くなれるよ
今を生きるんだ(時は流れても)
僕は流されない
最後は主人公に希望を持たせています。
個人的には、主人公が【この次の青空は自分から気づくだろう】としているのがいかにも青臭くて好きです。
現実には、次の【青空】も自分からは気くことはまだ無理でしょう。
でもそれは大人の認識であって、「次は絶対自分から気づく!」と思い込んでいるのがなんとも青春臭くていいですね。
最後の【僕は流されない】がちょっと唐突な感じがします。
普通に考えると世間に流されないという意味だと解釈できますが、ずっと遡ってみると【出しっぱなしの何か】というのがあるので、恐らくそちらにかかっています。
【僕】は【出しっぱなし】の生命に【流され】て無駄に時間や命を浪費しないぞ、ということです。
他の作品でも同じようなことを言ったかもしれませんが、この「何度目の青空か」は秋本文学の真骨頂といってもいいでしょう。
キレキレの描写、視線の誘導、メタファー、サビの抜け感や広がり、主人公の成長、明確なメッセージ……。
J-POPの歌詞の頂点といっても過言ではありません。
アイドル嫌いな人もぜひ聞いて、歌詞を読み込んで勉強して欲しい作品です。