1987年
キャニオンレコード
作詞、作曲、歌:TOM
TOUGH BOYの歌詞は、基本的に三人称で作中の世界を俯瞰し、紹介する内容となっています。
世界観としてはアニメ「北斗の拳」に寄せていますが、単なるアニメソングで終わらずに、リスナーそれぞれが「自分達の曲」「自分達の物語」と取れるような工夫がなされています。
全体的な構造として、
-
Aメロ:共有
-
Bメロ:連帯
-
サビ:扇動
となっています。
また、それぞれのセクションの視点には、
-
Aメロ:マクロ
-
Bメロ:ミクロ
-
サビ:マクロ
という視点の変化があります。
ではそれらを見ていきましょう。
Welcome to this crazy time
このイカレた時代へようこそ
君はTough Boy
まともなやつほどfeel so bad
正気でいられるなんて運がイイぜ
you ,tough boy
まずは世界観の紹介です。
第三者視点に立って、今我々が存在するのは「イカレ」た時代だと解説しています。
北斗の拳を一度でも観たことがある人は、これが作中の世界を紹介しているものだとすぐにわかります。
しかし、一度アニメから離れて考えてみると、現実の世界だと捉えることもできます。
ちなみに、Aメロではまだ個別の事象や特定の人物は登場していません。
特にストーリーも始まっていない(動きがない)、前振りのような状態です。
時はまさに世紀末
淀んだ街角で僕らは出会った
一行目はAメロと同じですが、二行目でがらっと視点が変わります。
この「僕ら」に注目しましょう。
Aメロでも「君はtough boy」「まともなやつ」と、人を指す言葉が出てきますが、まだ具体性はありません。
これが「僕ら」となると急に具体性が出てきます。
ではこの「僕ら」とは誰のことか?
- 作中人物
アニメの登場人物たちが出会ったことを歌っている。
- 歌手とリスナー
歌手のTOM★CATがリスナーに向けて、自分達が出会ったことを歌っている。
- リスナーの個人的な出会い
この曲を聴いたリスナーが、自分の体験を歌に投影している。
とこのように、時代の解説から「僕らは出会った」と視点をフォーカスすることで、リスナーが『俺/私のことだ!』と連帯感を深め、サビに向けて一気に歌の世界に没入することができるようになっています。
Keep you burning
駆け抜けて
この腐敗と自由と暴力のまっただなか
No boy no cry
悲しみは
絶望じゃなくて明日のマニフェスト
リスナーを一気に歌の世界に引き込んだところで、サビで彼らを扇動します。
『いろんなことがあるけど前に進もう!』というメッセージは、北斗の拳の世界観と現実の世界を完全にリンクさせたものでしょう。
もしBメロに『僕らは出会った』というミクロ視点がなければ、おそらくこのサビも自分とは関係ないアニメの世界だけのものとしてさらっと流れてしまっていたでしょう。
また、Aメロからここまで歌詞では一貫して北斗の拳の固有名詞は使っていません。
一言でも「北斗神拳」とか「カサンドラ」とか作品にまつわるワードが出てきていたら、その分だけリスナーは「この曲はアニメの中の事を歌っている、だから自分の生きている現実とは関係ない」と感じるでしょう。
そうではなく、「イカレた時代」「世紀末」「腐敗と自由と暴力」といった、北斗の拳の世界とも、現実の世界とも取れるワードを使うことによって、「アニメの歌」から「自分達の歌」に昇華させることに成功しています。
その方向性の証拠として、サビの最後、
We are livin'
livin' in eighties
We still fight
fightin' in eighties
と、ここでリスナーに現実世界(発売当時は80年代)に目を向けさせて楽曲をしめています。
このことからも、「TOUGH BOY」が単なるアニメの世界を表現した曲ではなく、アニメと現実をリンクさせ、リスナー一人一人が自分のこととして受け止め、現実を生きる力を与える目的で製作された楽曲であることがわかります。
サビのNo boy no cryの元ネタはボブ・マーリーの「No woman no cry」でしょう。
ジャマイカ英語なので分かり辛いですが、意味は「女の人よ、泣かないで」です。
これをオマージュして、「男の子よ、泣かないで」としています。
分析してみると、このTOUGH BOYは歌詞としてかなり高度なテクニックが詰まっていることが分かりました。
まとめると、
-
マクロ視点とミクロ視点の切り替え
-
ファンタジー世界と現実のリンク(そのためのワードのチョイス)
-
リスナーが『自分の物語』とするための人称の使い方
作詞をする人には相当勉強になる曲だと思いました。