2009年発売
ソニー
作詞:小倉しんこう・亀田誠治
作曲:小倉しんこう
本作の主題は「なかったことにしないために自分ができること」です。
そのために、有限から永遠に働きかけるという、ちょっと珍しい答えを導き出しています。
また、意思の指向性も終始一貫していて分かりやすく力強いので、感情移入しやすい構造となっています。
そこらへんを念頭に見ていきましょう。
本作は作詞家の小倉しんこうさんが亡くなった愛犬への想いをつづり、それをプロデューサーの亀田誠治さんが広く共感できるようにまとめたそうです。
大きく捉えると、消滅した大切な何かに対する想いを歌にしていると解釈していいでしょう。
この前提からすると、「あなた」は既に消滅している=死んでいます。
本作はそこから逆算して考えるとすっきりします。
- Aメロ
目が覚めればいつも 変わらない景色の中にいて
大切なことさえ 見えなくなってしまうよ
これだけ読むと、日常を機械的に過ごし、大切なことが見えなくなっている自分という、わりとありがちなJ-POPの風景に思えます。
しかし、前提としてある「消滅した大切な何か」を加味すると、このAメロはそれを”なかったことにしてしまっている自分”と解釈できます。
例えば元々のコンセプトである「愛犬を亡くした」という出来事を当てはめてみましょう。
そうすると【変わらない景色】とは、愛犬がいない景色となります。
それが【いつも】となっているので、愛犬を亡くして1年ぐらいでしょうか。
愛犬がいたという【大切なこと】が【見えなくなってしまう】、つまり愛犬がいたという事実や思い出を勝手に自分が”なかったこと”にしてしまっているということです。
この【大切なこと】はそれぞれ自分の中にあるものに置き換えてかまいませんが、消滅した何か、亡くなった人や動物であればよりこの歌詞を深く理解できるとおもいます。
さて、主人公は【大切なこと】を”なかったこと”にしている自分に気づきました。
そこから気持ちが揺れ動いていきます。
- Bメロ
生きてる意味もその喜びも
あなたが教えてくれたことで
「大丈夫かも」って言える気がするよ
今すぐ逢いたいその笑顔に
主人公は、忘れかけていた【大切なこと】をもう一度思い出します。
そこから【あなた】の存在や【あなたが教えてくれた】ことをなかったことにしたくないという想いを強くします。
ここをただ単に「さみしいから逢いたい」と捉えると、ちょっと内容が薄くなってしまいますし、だったら【あなた】を忘れた方がさみしさを紛らわせられるはずです。
主人公は、たとえさみしさや悲しみが再来して辛くなることがわかっていても、【あなた】がいたことを”なかったことにしない”という選択肢を選びました。
それが【今すぐ逢いたいその笑顔に】の奥にある心情です。
仮に主人公が【あなた】に(心の中で)今すぐ逢えたとしても、現実には存在しないし、存在しなくなったことがよりはっきりしてしまうので、辛いはずです。
だから”なかったこと”にしようとしていたのが冒頭です。
しかし、主人公はそれではダメだと気づき、辛さを乗り越えてでも【あなた】に(心の中で)逢いたいと願います。
この決意を汲み取らないと本作の歌詞は理解できないでしょう。
では、辛さを乗り越えて【あなた】に(心の中で)逢ってどうするのか?
その答えがサビにあります。
- サビ
あなたを包むすべてが やさしさで溢れるように
わたしは強く迷わず あなたを愛し続けるよ
どんなときも そばにいるよ
主人公は、消滅した【あなた】を”なかったことにしない”ため、辛さを乗り越えて自分から働きかけることにします。
ここで押さえておきたいのは、「私」と「あなた」のメタファーです。
- 私=有限
- あなた=永遠
こうした有限と永遠の関係性は、多くの作品で描かれていますが、ほとんどは永遠から有限への奉仕という図式となっています。
歌詞でよくあるのは、亡くなった大切な人に対し「見守っていてね」「力を貸して」「ずっとそばにいてね」と自分への奉仕をお願いするというもの。
また、永遠に対して憧れ、嫉妬するというのも逆説的な永遠からの奉仕と言えるでしょう(永遠の方から有限に憧れを与えているという意味で)。
しかし、この「やさしさで溢れるように」では、有限が永遠に奉仕するというめずらしい図式を描いています。
なぜでしょうか?
それは、”なかったことにしない”ためです。
主人公は、この世から消滅した大切な何かを”なかったこと”にしないために、有限である自分から永遠となった【あなた】に奉仕しようと考え、行動します。
また、そうすることで自分の人生も輝くと考えます。
この「私」→「あなた」という矢印が本作のもうひとつのポイントです。
しかし、なぜこの主人公は永遠からの奉仕を受けようとしないのでしょうか?
そちらの方が簡単でロマンティックなのに……
それは恐らく、永遠が死をイメージさせるからでしょう。
J-POPは耽美主義よりも公益性を重んじる風潮があります。
永遠に魅せられ、やがて自分もそこに吸い込まれて帰らぬ人となる……という物語には格別の美しさがありますが、公益性に欠きます。
リスナーが自分も頑張ろう、生きようとする意思を持てるような作品に仕上げるのがJ-POPの真骨頂といっていいでしょう。
そのためには主人公を生かさなくてはなりません。
では大切なものを失った主人公がどうやってその後の世界を生きていくのか?
ひとつは全てを”なかったこと”にして、それを日常化することです。
亡くなった愛犬をいなかったことにすれば、悲しみも辛さもやがて消えてくれます。
当初主人公はそちらを生きていましたが、これではダメだと気づきます。
そして新たに出した答えが、<大切なものをなかったことにしないため、永遠に対し奉仕する>という考えです。
永遠に対し有限である自分が奉仕し、それを生きる力に変える。
それが本作の答えです。
当たり前の事は いつでも忘れ去られがちで
息継ぎも忘れて 時間だけを食べてゆく
花の名前も 空の広さも
あなたが教えてくれたことで
愛と呼べるもの 分かった気がする
せわしなく進む 時の中で
2番のABも1番と同じです。
- サビ
わたしの生きる世界が 光で満たされるように
あなたの生きる時間を わたしが輝かせるから
離れていても そばにいるよ
こちらも1番のサビと同じですが、より自分へのフィードバックを期待しつつ【あなた】への奉仕を願っています。
さて、ここで疑問が湧いてきます。
【あなた】は既に消滅し、永遠となっているはずですが、そうすると【あなたの生きる時間】というのがわからなくなります。
この【生きる】を「あなたが永遠として存在し続ける時間」と考えるとすっきりします。
そうなると、有限である自分が永遠を輝かせるということが無謀であり無責任に感じられますが、これは実際にどうこうというより、主人公の覚悟の問題です。
さて、覚悟を持った主人公に変化が訪れます。
雨に打たれても 風に吹かれても
寒さを感じない 今は
ぬくもりはいつも この胸の中に
決して失くさないよ ありがとう
前半二行は二つの解釈が成り立ちます。
1
雨風に打たれても寒さを感じないほど弱って感覚が麻痺している
2
雨風に打たれても寒いと感じないほど力がみなぎっている
この歌詞の流れだと2でしょう。
主人公は永遠に奉仕することで強い力を手に入れました。
ここで重要なのは、あくまで最初に<永遠への奉仕>があって、そのおまけとして強い力を与えられたということです。
最初から利益を期待しての奉仕ではないのです。
私→あなたという図式は終始一貫しています。
この一貫性が本作に強い説得力を与えています。
最後の【ありがとう】も、さらっと流してしまいそうですが、奉仕する側が言っているという点に注目しましょう。
例えばボランティアに助けてもらった人が言う「ありがとう」は当たり前といえば当たり前です。
しかし、ボランティアとして奉仕した側が言う「ありがとう」には、何か特別な想いが込められているような感じがあります。
永遠に奉仕する主人公が言う【ありがとう】という点をしっかり噛みしめましょう。
残りは特に新しいことはありません。
では最後に「やさしさで溢れるように」の主題やメッセージをまとめてみましょう。
- 前提
大切な何か=【あなた】が消滅し(死に)永遠となった
- 私
悲しい。だから【あなた】を”なかったこと”にして乗り越えようとする
しかし、それじゃダメだと気づく。
【あなた】を”なかったこと”にしないためにどうすれば?
- 答え
有限である自分が、永遠となった【あなた】の生きる時間を充実させてあげる
【あなた】の生きる時間=【あなた】が死に続ける時間
有限が永遠に奉仕する……無謀←主人公の決意
その決意が主人公に生きる力を与えてくれる
- 結果
主人公は雨風に打たれても寒さを感じないほどの強さを手に入れた
【ありがとう】と【あなた】に感謝する←奉仕した側からの「ありがとう」
- 備考
私→あなたという図式が終始一貫している。
安直な耽美主義に溺れず、公益性を考慮された歌詞となっている。
一見とても抽象的な世界観のようでいて、じっくり分析すると非常に論理的で緻密に計算された歌詞であることがわかります。
僕は常々、詩は論理的でないと成立しないと考えてきましたが、改めてそれを確信しました。