音楽教育の場では、あたかもスケールがそのまま音楽になるといった体で教えられていますが、それは間違いです。
ただ単にスケールを上下しただけでは音楽に聞こえない、ソロやアドリブには聞こえないというのは、ちょっと音楽をかじれば誰でもわかります。
しかし、だからといってスケールが音楽にならないのではありません。
クラシックを聴けばエクササイズみたいなフレーズが美しい音楽として奏でられているのを確認できますし、ロックギターならイングヴェイ、ジャズギターならジェシ・ヴァン・ルーラなどはスケールを多用しつつ、それらを音楽的に昇華させています。
彼らは――仮にスケールを上下しているだけだとしても――それらをただ弾いているのではなく、「スケールの上下を音楽にする」という一手間を加えて弾いているといえるでしょう。
疑うのであれば、同じフレーズを弾いて録音してみればわかります。
僕はイングヴェイが好きで、本人はもちろん、世界中の人の「弾いてみた」をよくチェックしますが、どれだけ上手でも、やはり本人とファンの間には無限の隔たりがあるように感じます。
おそらく上記の「スケールの上下を音楽にする」という過程に絶対的な違いがあるのでしょう。
スケール練習を日課として行う方は多いと思います。
が、そういった練習法を見聞きしたとき、僕は必ず違和感を覚えます。
というのは、そこに音楽的な要素がほとんど見当たらないからです。
一般的に、スケール練習というと、タイムに正確に、音の粒を揃えて、ピッキングを均一に……といった内容となっています。
まるで機械を目指しているかのようではありませんか?
普段からこんな練習ばかりしていて、いざ曲を弾くときだけ音楽的に表現しようと思っても絶対にできません。
ですから、スケール練習には、それが音楽的になるような工夫が必要不可欠なはずです。
いっても、僕はスケール練習自体やらないし、スケールでアドリブをすることも推奨していないので、それがどういった練習になるかはわかりませんが。
人は、練習してきたことしかできません。
機械みたいなスケール練習しかしてこなかった人は、ソロやアドリブでも、やはり機械みたいなスケール練習しかできません(機械みたいなソロではなく、機械みたいな”練習”しか本番でできないという意味です!)。
スケールを使って音楽を奏でたい人は、普段のスケール練習で、それが音楽になるためにあれこれと工夫し、スケールを音楽にするための練習を行う必要があります。