2020年MV公開。
2021年リリース。
作詞・作曲:清水依与吏
プロデュース:島田昌典
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本楽曲は、新型コロナウイルスで中止になった2020年のインターハイを目指していた学生達に向けて書き下ろされたそうです。
これをそのまま受け取り、「コロナ」「インターハイ中止」「夢を断たれた学生」に対するメタファーを安易に詞の中に探すと、この曲の文学性が減退してしまうでしょう。
一方で、歌詞全体に漂う「諭す感じ」は清水氏から学生たちへの言葉と受け取ってもいいような気がします。
そこら辺に気を付けて読み進めていきましょう。
出来るだけ嘘は無いように
どんな時も優しくあれるように
人が痛みを感じた時には自分の事のように思えるように
ありふれた道徳的な言葉が並ぶ冒頭。
さらっと読むと「ふんふん、確かにその通りだ」と思いつつ流してしまいそうですが、なぜこんな道徳臭い言葉から曲が始まっているのかを考えてみましょう。
例えば人に「嘘をつかないように」と言うときは、どういうときでしょうか?
誰もが正直でいれば、わざわざ「嘘をつかないように」とは言いません。
「嘘をつかないように」と言うときは、嘘が蔓延している状態です。
つまりこの曲は、
・嘘が蔓延し
・優しさが薄れ
・他人の痛みに無関心
な世の中を前提としています。
これをコロナ渦中の人心が荒廃した状態と捉えてもいいし、コロナ関係なく世の中はそうした世知辛いものだと捉えてもいいでしょう。
また、備考で述べたように、どこか大人が子供を諭している感じがするのは、清水氏が高校生をイメージして書いたからでしょう。
正しさを 別の正しさで失くす悲しみにも 出会うけれど
楽曲の制作動機が、コロナでインターハイ中止となったことを考えると、以下のように読み解けます。
【正しさ】=感染に十分配慮した上で競技を開催すること
【別の正しさ】=感染拡大防止のために競技を中止すること
制作動機を考えるとこれが正解なのでしょうが、そうしてしまうと詞の世界が矮小化されてしまう気がします。
そもそもコロナに関係なく、【正しさを 別の正しさで失くす悲しみ】は存在します。
この辺から、コロナを題材にしつつそれを普遍的な詞に昇華させようとする清水氏の意欲やセンスがうかがえます。
さて、この短いBメロからは世の中の不条理が浮かんできます。
人心の荒廃した世の中で、複数の【正しさ】に直面し、【悲しみ】に出会う。
AメロBメロは、生き辛い現代社会を端的に表現した流れとなっています。
水平線が光る朝に あなたの希望が崩れ落ちて
風に飛ばされる欠片に 誰かが綺麗と呟いてる
悲しい声で歌いながら いつしか海に流れ着いて 光って
あなたはそれを見るでしょう
とても美しい情景が浮かびますが、いざ「どういう意味?」と聞かれるとなかなか説明し辛い内容です。
まず【水平線】ですが、これは海のずっと先にあるものですよね。
結論から言うとまず<海>が社会や世の中に起こる現象の総称で、そのずっと先にある【水平線】は<未来>のメタファーです。
それを念頭に読み進めていくとすっきりと理解しやすくなります。
水平線が光る朝に あなたの希望が崩れ落ちて
【水平線が光る朝】とは、未来に向かって一歩進む日と捉えられます。
インターハイや受験、ライブ本番、オーディションや採用試験当日などなど。
この日を境に社会という海の先にある自分の未来が輝く……そんな朝に【希望が崩れ落ち】るような出来事が起こります。
コロナでイベントが突然中止になる、アクシデントで試験会場に行けない、などなど(作曲動機のインターハイは当日中止になったのではないと思いますが)。
目の前が真っ暗になる状況が想像できます。
風に飛ばされる欠片に 誰かが綺麗と呟いてる
ここがちょっと難しいのですが、まず【風に飛ばされる欠片】とは【崩れ落ち】た未来への【希望】のことです。
その【希望】の【欠片】を見て、【誰かが綺麗と呟】きます。
なんで自分に起こった最悪の出来事を【綺麗】などと言うのでしょうか?
これは清水氏がひっそりと歌詞に込めた皮肉ではないかと思われます。
マスコミはあちこちから悲劇のストーリーをかき集め、それを上手に編集してドラマ化し、視聴者はそれをコンテンツとして消費します。
コロナ渦や東日本大震災など、大きな出来事の後は必ずそういった報道が行われます。
そうした、誰かの悲劇を餌にするマスコミや視聴者への皮肉です。
さらに言うと、その悲劇を歌にするミュージシャンである清水氏本人の自虐もあるのかもしれません。
ファンの学生に起こったインターハイ中止という悲劇をまんまと歌の肥やしにしている自分も、所詮は【あなた】の崩れ落ちた【希望】に【綺麗】とつぶやいている一人なんだよ、と。
もし清水氏がこの点に無自覚なままこの曲を作っていたとしたら、傲慢であるという批判は免れないでしょう。
個人的には自覚して書いていそうな気はしますが。
悲しい声で歌いながら いつしか海に流れ着いて 光って
一瞬誰が【悲しい声で歌】っているのかと疑問に思います。
【悲しい声で歌】っているのは【あなた】のように読めてしまいますが、恐らく主語は【希望】でしょう。
つまり、<崩れ落ちた希望の欠片が悲しい声で歌いながらいつしか海に流れ着いて光る>ということです。
でないと次につながりません。
では<崩れ落ちた希望の欠片が悲しい声で歌う>とはどういう意味でしょうか?
簡単に言うと、その出来事が悲しい思い出として記憶に残っていくということです。
その悲しい記憶が自分の元を離れ、社会という海に流れ着き、やがて光を放ちます。
歌詞には書いていませんが、その【光】は恐らく水平線(未来)を明るく照らします。
あなたはそれを見るでしょう
サビで言っていることをまとめると、自分の崩れ落ちた希望が誰かの時間を消費するコンテンツになり社会を漂った先に、また自分の未来(水平線)を輝かせる光になることをあなたはきっと目撃するでしょう、ということです。
簡単に言うと「悲しいことがあってもまた将来それが役に立つ時がくるよ」ということなんですが、それを美しく(それだけに回りくどく)表現しています。
自分の背中は 見えないのだから
恥ずかしがらず人に 尋ねるといい
心は誰にも見えないのだから
見えるものよりも大事にするといい
サビで「悲しいこともまた将来役に立つ時がくるよ」と言ったものの、その当事者は今はまだそれが分かるときではありません。
そこで【あなた】に改めてこれからどう生きるかを提言しているようです。
ここは普通に読めばいいと思います。
毎日が重なる事で
会えなくなる人も出来るけれど
ここもコロナ渦を端的に表現しているように思えます。
緊急事態宣言何度もが発出され、自宅待機という【毎日が重なる事】で疎遠になっていく人が増えたというのは誰しも経験したことでしょう。
ただ、これもコロナに限定すると歌詞の世界観が狭くなってしまう気がします。
【毎日が重なる】とは、例えば部活に打ち込むとか、仕事に精を出す、目標に向かって日々努力するということにも通じます。
そうするとどうしても会えない人が出てきますよね?
つまり、あなたが一生懸命であることで誰かと疎遠になることもあるということです。
一生懸命に何かに打ち込むことは【正しい】ことではありますが、それが故に【会えなくなる人も出来る】という悲しい出来事も起こり得ます。
これもちょっとした不条理であり、作品の世界観を踏襲しています。
透き通るほど淡い夜に あなたの夢がひとつ叶って
歓声と拍手の中に 誰かの悲鳴が隠れている
耐える理由を探しながら いくつも答えを抱えながら 悩んであなたは自分を知るでしょう
【透き通るほど淡い夜】は、サビ1の【水平線が光る朝】の対比でしょう。
そんな夜に【あなたの夢がひとつ叶】います。
ということは、【あなた】はサビ1で希望を断たれてから再度奮起したようです。
そして1年後か数年後に夢を叶えることができました。
絶望から掴んだ栄光の瞬間に【歓声と拍手】が贈られますが、【あなた】はふとその中に【誰かの悲鳴】を聞き取ります。
【誰かの悲鳴】とは何でしょう?
これは自分の勝利の裏に必ず存在する他の誰かの挫折、自分の幸福の裏に必ず存在する他人の不幸です。
皆が優勝を目指している中で自分がそれを勝ち取ったとき、自分以外の全員は悔しさや挫折、悲しさを味わいます。
【あなた】はかつて絶望を味わったことがあるだけに、そうした【悲鳴】には敏感になっており、栄光の瞬間にそれを敏感にキャッチしてしまいました。
さて、そんなとき【あなた】はどう思うでしょう?
「自分は挫折から這い上がってきた」
「なにもズルはしていない」
「努力して正当にこの結果を勝ち取ったんだ」
「自分に負けた人はもっと努力すればいい、アクシデントや悲劇に見舞われた人はそこから立て直してもう一度トライすればいい、自分のように……」
と、【誰かの悲鳴】に【耐える理由を探】し【いくつも答えを抱え】るでしょう。
しかし、【あなた】はどうしても【誰かの悲鳴】を忘れることができません。
なぜならその【誰か】とはかつての【あなた】だし、また未来の【あなた】に再度起こることだと思えるからです。
ここでまた清水氏が顔を出し「うんうん、それが人生だよ。そうやって皆自分を知っていくんだよ」と諭します。
誰の心に残る事も 目に焼き付く事もない今日も
雑音と足音の奥で 私はここだと叫んでいる
サビ2で栄光の瞬間に聞いた誰かの【悲鳴】を、めぐり巡って今度は自分が発しています。
【あなた】は挫折から這い上がり、一度は栄光を掴んだものの、それもまた過ぎ去って【誰の心に残る事も 目に焼き付く事もない】日々を過ごしています。
もちろん心の中にはかつての栄光がくすぶっており、群衆の中で【私はここだ】と心の中で叫んでいます。
ということは、【誰の心に残る事も 目に焼き付く事もない今日】に満足できないのでしょう。
ここも個人的には清水氏が自分を投影している気がします。
バンドの人気が衰え、やがて解散し、都会の雑踏を歩いても誰も自分に気づいてくれない未来……。
人気ミュージシャンなら一度は想像してゾっとしたことがあるでしょう。
水平線が光る朝に あなたの希望が崩れ落ちて
風に飛ばされる欠片に 誰かが綺麗と呟いてる
悲しい声で歌いながら いつしか海に流れ着いて 光って
あなたはそれを見るでしょう
あなたはそれを見るでしょう
【あなた】そして清水氏はまた原点に戻ってきました。
一度は挫折から這い上がったものの、またしても【希望が崩れ落ち】ます。
そして、同じようにその欠片を誰かがコンテンツとして面白おかしく消費します。
「あの人は今?」
「懐かしのバンド紹介」
といった感じに。
しかし、それもまた社会という海に漂い、そしていつしか水平線の彼方で輝く時がくる、かつてそうだったように……
そうやって人は長い長い人生の中で挫折と栄光を繰り返し生きていくものだというのがこの楽曲の主題であり、メッセージであるように思えます。
正直、この記事を書くまでback numberはほとんどちゃんと聴いたことがなく、ヴォーカルが不倫した大学生に人気のバンドというぐらいの知識しかありませんでした。
しかし今回「水平線」の歌詞を読み込んで、ヴォーカル清水氏の文学性の高さに驚かされました。
特にメタファーの使い方が絶妙で、「水平線」というとよく「彼岸」「ここではないどこか」あるいは「死後の世界」といったイメージで使われることが多いのですが、「水平線」の先に比較的現実的な未来を見るという歌詞はあまり読んだことがなかったので新鮮でした。
また、創作の動機がコロナによるインターハイ中止という、ともすれば安っぽい応援ソングになってしまうような題材から、ここまで普遍的な歌詞に昇華する才能にも驚きました。
根拠のない励ましの言葉を羅列するでもなく、なぐさめるだけでもなく、変に説教臭くもならず(若干その雰囲気はあるけど)、また学生にしか響かない内容にならず、優しすぎもせず、かといって残酷すぎもせず、リアリズムと理想主義が絶妙にブレンドされた歌詞は見事と言うしかありません。
特にサビ2で【あなた】にただ栄光を与えるだけでなく、その裏にある【誰かの悲鳴】に耳を傾けさせ、きちんとそこに対峙させるところにはほとほと感心しました。
今回歌詞を分析し、人気がある理由がよく分かりました。