N46Div.
2013年リリース
作詞:秋本康
作曲:杉山勝彦
本作は一見わかりやすい情景やメタファー、関係性を提示しつつも、象徴が意外と深く、まためまぐるしく変化していくので、本質的な部分が掴み辛いものでもあります。
主人公とヒロインの関係性から主題を丁寧に紐解いていくと、単なるアイドル曲にとどまらない秋本康氏の持つ深い文学性が見えてくるので、ゆっくり分析していきましょう
本作は「君の名は希望」とあるとおり、主題は”希望”です。
ただ、【君】と主人公の関係性や距離感の変化によって、その”希望”自体の意味も変化していきます。
そういった点を見逃さないように気を付けて読んでいきましょう。
僕が君を初めて意識したのは
去年の6月 夏の服に着替えた頃
転がってきたボールを無視してたら
僕が拾うまでこっちを見て待っていた
まず前提として、主人公は過去の出来事を回想しています。
【去年の6月】とあることから、最短で半年、長くて1年程度だと読み取れます。
6月にしたのは意味があるのですが、それは少し先に説明します。
主人公は【僕】なので男の子、場所は後に【グラウンド】と出てくるので学校と考えるのが自然でしょう。
ということは、だいたい中高生ぐらいです。
【君】は同じ学校の女子だと考えられます。
まあ、この辺まではいちいち分析しなくても想像できますが。
6月のうっとうしい天気の下、僕がグラウンドのベンチあたりでぽつんと過ごしていたら、ボールが転がってき、無視してたら女子がとって欲しそうにこっちを見ていた。
誰でもすぐにイメージできる分かりやすい情景です。
また、【僕】は恐らくぼっちで、【君】は友達とボール遊びができる程度にリア充だということも想像できます。
部活かもしれませんが、それでもまあ同じです。
透明人間 そう呼ばれてた
僕の存在 気づいてくれたんだ
たった2行ですが、とても鮮烈に【僕】の境遇を描写しています。
【僕】は影が薄く、学校では【透明人間】と呼ばれているそうで、本人も知っていることから軽いいじめがあるようです。
あるいは、影が薄すぎていじめにすらならず、とにかく誰からも忘れられたような存在で、【僕】自身もその境遇を受け入れてしまっています。
典型的な非リア充ですね。
そんなある日、【君】は【僕】の存在を認め、さらにリアクションを待っていました。
【僕】からしたら大事件だったのでしょう。
厚い雲の隙間に光が射して
グラウンドの上 僕にちゃんと影ができた
いつの日からか 孤独になれていたけど
僕が拒否してた この世界は美しい
自分の存在を誰かが認めている、主人公がそれを知った瞬間、厚い雲間から光が射して、【透明人間】と言われていた自分にちゃんと影ができました。
ここで【6月】という季節が効いてきます。
仮にこれが冬だったらどうでしょうか?
光が弱くてちょっと頼りなく、主題である【希望】へのつながりが弱くなります。
では8月だったら?
光は強くなりますが、その直前の主人公のどんよりとした心情と、既に梅雨の明けた真夏の感じがマッチしません。
6月という梅雨のうっとうしい天気と主人公の鬱々とした心情、そしてそこに射す一筋の光、その光が予感させる夏の輝きとここから主人公が獲得する【希望】、これらがちょうど合致するのが6月という季節です。
だからこのシーンは6月でないとダメなんです。
秋本康氏はこうしたシーン設定の名人と言えるでしょう。
さて、主人公は【透明人間】と呼ばれることに慣れてしまってましたが、【君】に存在を認識してもらえたことで【この世界は美しい】とまで思えるようになりました。
おそらくボールを渡したとき、二言三言、あるいはもう少し会話でもあったんでしょう。
恐らく【君】は、そのとき怪訝な顔をしたり、怖がったりせず、普通に接してくれたんだと思います。
こんなに誰かを恋しくなる 自分がいたなんて 想像もできなかったこと
未来はいつだって 新たなときめきと出会いの場
君の名前は”希望”と今知った
主人公は【君】に恋をします。
初恋でしょうか?
あるいは過去に恋愛感情を抱き、絶望した後の新たな恋なのかもしれません。
そして、未来に希望を抱きます。
【君の名前は”希望”と今知った】というところがちょっと難しいです。
まず、主人公にとって【君】は、単なる同級生や同年代の女の子ではなく、自分の存在を認め、自分が見ていた世界を一変させた存在です。
その存在はいったい何なんだろう?その名前は?と考えて、それが【希望】だと知ったということです。
この【希望】には、ふたつの意味があると思います。
- 他人
- 未来
人にも未来にも絶望していた主人公が、【君】に存在を認められることで人にも未来にも希望を持つことができるようになった。
そして、世界を美しいと感じられるようになった。
これだけでも長編小説一冊分ぐらいの主題が内包されています。
わざと遠い場所から君を眺めた
だけど時々 その姿を見失った
24時間心が空っぽで
僕は一人では生きられなくなったんだ
孤独より居心地がいい
愛のそばでしあわせを感じた
【わざと】遠い場所から君を眺めるということは、既に距離は縮まっていることがわかります。
付き合ったのかどうかは微妙です。
とはいえ主人公は元【透明人間】で、【君】以外からは相変わらず冷たい扱いをされているはず。
【君】は恐らくリア充で、主人公以外とも関係性があります。
主人公がそちらの輪の中に入っていくことはまだ難しいでしょう。
もしかしたら、主人公が試すようにあえて距離を置いたことで【君】もちょっと愛想をつかして離れていったのかもしれません。
そういった時、主人公は心が空っぽになるのを感じます。
そして、一人で生きられなくなった自分を発見します。
【愛のそばで】とあるので、主人公は【君】から何らかの愛情を感じていたようです。
ということは、やっぱり付き合っていたのでしょうか?
この辺はぼかされています。
人の群れに逃げ込み紛れてても
人生の意味を誰も教えてくれないだろう
悲しみの雨 打たれて足下を見た
土のその上に そう確かに僕はいた
主人公は【君】と距離ができたことの寂しさをまぎらわすために人混みにまぎれてみます。
しかし、何も見つけ出すことはできませんでした。
そうして悲しみにくれますが、そこにはかつての【透明人間】ではなく、確かに自分が存在していました。
ここで重要なのは、主人公から【君】が離れていっても、主人公はちゃんと自分の存在を確認できていることです。
既に主人公の心に”希望”が宿っているからでしょう。
こんなに心が切なくなる 恋ってあるんだね
キラキラと輝いている
同じ今日だって 僕らの足跡は続いてる
君の名前は”希望”と今知った
このへんはよくわかりませんが、主人公は苦しいときにも”希望”が持てるようになったようです。
もし君が 振り向かなくても
その微笑みを僕は忘れない
どんなときも君がいること
信じて まっすぐ歩いて行こう
ここで書かれている【君】は二種類存在します。
それは、
- 人物としての【君】
- ”希望”の象徴としての【君】
人物としての【君】は主人公から去っていったようです。
主人公はそれを受け入れている感じがします。
また、そうして人物としての【君】が去って行ったことで【君】の神格化が完成しました。
【君】は物理的な存在ではなく、”希望”そのものとなります。
そうした”希望”の象徴としての【君】は、どんなときも主人公と共にいます。
何もわかっていないんだ 自分のことなんて
真実の叫びを聞こう さあ
心に”希望”が宿ったことで、主人公は内省できるようになります。
自分とは何なのか?それを告げる【真実の叫び】を受け止める勇気が出てきました。
それは恐らく、「他人とつながりたい」「恋愛がしたい」「人生を謳歌したい」という、前々から持っていた自分の中の本当の欲求なのでしょう。
これまでは、【透明人間】を受け入れることでそうした欲求に蓋をしてきましたが、”希望”を宿した主人公はもう同じ人間ではありません。
こんなに誰かを恋しくなる 自分がいたなんて
想像もできなかったこと
未来はいつだって 新たなときめきと出会いの場
君の名前は”希望”と 今知った
希望とは明日の空
ここでいう【誰か】というのは、もう【君】ではなくて人間全般のことでしょう。
主人公は【君】が去った後でもちゃんと存在し、しかも未来に”希望”を持てています。
良い意味でもう【君】の存在は必要なくなりました。
主人公にとって、【明日】そのものが【君】であり”希望”になったのです。
改めて考えると、「君の名は希望」は秋本康流アイドル論であるとわかります。
【君】とはアイドルのことで、【僕】はファンです。
透明人間のように生きていたオタがアイドルに認知され、世界は美しいとまで認識を転換させる、その後オタ活の中でわざとそのアイドルから距離を置く、やがてアイドルが卒業し自分から去っていくが、心の中にはいつまでも”偶像”として残り続け、自分に希望を与えてくれる……
本作は、そんなアイドルになってほしいという秋本氏から乃木坂46へのメッセージなのかもしれません。
余談ですが、このアイドルとファンの関係性は、以前書いた「伊豆の踊子」の私と踊り子の関係性と全く同じと言えるでしょう。
「伊豆の踊子」では、孤児の主人公が無垢な踊り子と接することで生きる意味を見いだします(『">どんなに親切にされても、それを大変自然に受け入れられるように美しい空虚な気持ち』)。
秋本氏の凄さは、いきものがかりと比較すると分かりやすいです。
いきものがかりの歌詞のずるさは、一歩踏み出す前のキラキラだけ見せておいて、その先の責任を取らないところです。
「ありがとうと言わなくても、思っただけできっと相手には伝わっている」という根拠のない妄想をキラキラと輝かせて、その先には進ませずにしれっと終わっていくことのずるさ。
秋本氏は(全作品を読んだわけではないけど)、ちゃんと主人公に一歩踏み出させます。
本作でいうと、【君】に救われた主人公に、その後【君】と距離を縮めさせ、ちゃんと挫折まで味わせた上でそこからの救いを提示しています。
いきものがかりとは文学的な深みが全く違います。
いきものがかりだったら、【君】が【僕】の存在を認め、雲間から光が射して「世界は美しい!」で終わっているでしょう。
その先をきちんと描いていることの重みを噛みしめてこの曲を聴くと、味わいが全く違ってきます。
余談ですが、この曲はオリジナルよりもライブでいくちゃんが弾き語り風に歌っている方がいいです。
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