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「浅くて何がだめなの?」と言う人 ものごとの浅さ/深さについて考えてみた


八幡謙介ギター教室in横浜

以前、作品の深みについて話していたとき、ある人が「浅くて何がだめなんですか?」「なぜ深くないといけないんですか?」と訊いてき、唖然として固まってしまいました。

どう答えたかは覚えていませんが、「いい歳して(その方は確か当時40前後)何言ってんだこいつは?」と思った記憶があります。

 

最近ふとそのことを思い出し、考えていました。

音楽や映画、アニメ、その他芸術作品が浅いもの、内容が薄いものだったとして、それの何がだめなのか?

確かに、だめなことはありません。

浅い内容でも本人が楽しめればそれでいいのでしょう。

しかし、角度を変えてみるとまた違った見方ができます。

 

まず、「浅くて何がだめなの?」と言っている人は、本当に最初から浅い作品を求めていたのでしょうか?

「AよりもBの方が内容が浅そうだ、だからBにしよう」と作品を選ぶのでしょうか?

たぶん違うでしょう。

恐らく自分の中で深いと思えるものを選んでいるはずです。

 

では「深い」とは何か?

考えてみると、「深さ」には段階があることを再確認しました。

 

〈芸術における「深さ」の段階〉

0 鑑賞に耐えない

1 鑑賞にはぎりぎり耐えられるが破綻している

2 鑑賞には耐えられるがつまらない

3 ほんの少し感情が動く

4 そこそこ感情が動くが、鑑賞後すぐ消える

5 感情が大きく動き、鑑賞後にも残る

6 鑑賞者の人生に影響を及ぼす

7 鑑賞した多くの人間の人生に影響を及ぼす

8 その作品が社会や国に影響を及ぼす

9 時間が経っても評価が衰えないが、まだ歴史にはなっていない

10 歴史に残った作品。人類共通の遺産

 

ざっくりとだいたいこんな感じに「深さ」のレベルが上がっていくと思います。

一般的には3ぐらいから世間に認知されはじめ、ファンがつきはじめるのではないでしょうか?

では3のレベルの作品を好きになったという人は、「浅い」から好きになったのでしょうか?

恐らく違います。

本人にとって「深い」から好きになったのでしょう。

あるいは「ちょうどいい」と表現するべきかもしれません。

いずれにせよ「浅い」が理由で何かを好きになることはないと考えてよさそうです。

つまり、人は本能的に「深さ」を求めるものであるということです。

 

 

ここで本記事の主題に戻りましょう。

「浅くて何がだめなんですか?」と言った人も、やはり何らかの深さは求めていたんだと思います(何の話だったかは忘れましたが、音楽か文学かアニメかそこら辺の話だったはず)。

しかし、僕が話す深さと自分の持つ深さが全く違うことに気づき、恥ずかしくなったのかイラッとしたのかして、つい「浅くて何がだめなんですか?」と子供っぽい反抗をしてしまったのだと推察します。

こう言うと僕がマウントを取って相手をイラつかせたように思う人もいるかもしれませんが、そうではありません。

ただ、僕は芸術作品にはレベルがあるとは考えているので、そういった文脈で話した結果『自分が好きなものは低レベルで浅いってのか?』→『浅くて何がだめなんだ!』と怒らせたのかもしれません。

そこは反省しています。

 

「浅くて何がだめなの?」とうそぶく人も、どう考えても「深さ」を求めているはずなので(浅ければ浅いほどいいとはならない)、だったらもう一段階上の深さを理解できるようになれば世界が広がるのになーと僕はいつも思っています。

ただ、そのためには負荷がかかってしまうので、今の自分が楽しめる程度の「深さ」に留まってしまうのでしょう。

そしてそれを「浅い」と認定されたとき、恥ずかしさと悔しさから自己を守るために「浅くてなにがだめなの?」と反論するのではないかと思います。

つまり、「浅くてなにがだめなの?」と言っている人自身が「浅かったらだめだ」と思っているということです。

じゃあ深みを目指せよと思いますが、それはめんどくさいから嫌なんでしょう……