音楽がちょっと分かってくると、つい「何をやっているのか」を聞いてしまいます。
各楽器がどういうフレーズを弾いているのか、フォームや弾き方はどうか、ミックスで楽器をどう配置しているのか、エフェクトはどうかかっているのか、音圧は十分か、などなど。
確かに、そういう聴き方もありでしょう。
しかし、それだけだと技術の評価に終始してしまいます。
もちろん、それでよければいいのかもしれませんが、その奥にある何かを探求していくと、音楽や芸術の様相は一変します。
例えば、SNSでよく演奏動画が流れてきます。
ギター一本でこんな演奏をしてみましたとか、○歳なのにこんなに上手ですとか、和楽器でこんな曲を弾いてみましたとか…。
それらは概ね「何をやっているか」です。
例えば、「ギター一本」で「メロディ、ベース、コード、パーカッションを全て弾いている」という現象があり、それが難易度の高いことだから「凄い!」となるのでしょう。
もちろんその凄さは分かります。
しかしそれはそれ、技術の凄さはよく分かりました。
では芸術として何が伝わってくるのか感じようとしたとき、結局最後まで何も伝わってこないということがほとんどです。
いや、何も伝わってこないというのはちょっと違います。
「俺凄いだろ?」「この組み合わせ、意外だろ?」「この楽器でこんな楽曲を弾くなんてナイスアイデアでしょ?だから”いいね”して!」という思いが伝わってき、それ以上、その奥には何も感じません。
だから僕は、そういった動画に感動したことがありません(感心はしますが)。
もちろん、技術やアイデアに感動するのも自由です。
しかし、技術の高さやアイデアの奇抜さをスルーし、その奥にあるものを掴み取ろうとしたとき、それらの価値はまた変わってくるよ、という話です。
動画や音楽だけではなく、芸術全般やサブカルなども含めて。
自分がどういう感性で芸術を観賞しているのか分からないという人は、好きな作品のいいところを一度書きだしてみましょう。
そこに書かれていることがあなたの感性そのものです。