これまでは1コーラス内で何を弾くかについてレクチャーしてきました。
今回からは複数のコーラスを弾くことを前提にお話していきます。
現在題材としているブルース形式では、12小節で1コーラスとなっています。
アドリブではその1コーラスを何度も繰り返していくということはご存じかと思います。
実は、ここで日本人の国民性が必ずといっていいほど出てくるのです。
それは、コーラスごとにきっちりまとめてしまうことです。
1コーラス目を12小節以内できっちりまとめて、2コーラス目を頭からきっちり始め、そして2コーラス目もまた12小節でまとめて、また3コーラス目の頭から始めて……
という風に、1コーラスを何度も繰り返してしまいます。
これはダメな例です。
そもそも、そういう弾き方だとソロの連続性が失われ、細切れに聞こえてしまいます。
仮に5コーラスやるなら5コーラスでひとつのアドリブ、ひとつのまとまった世界として表現するのが基本です。
ではなぜ日本人はコーラスを遵守するのか?
それは単純です。
ルールや枠組みを守るからです。
ブルースは12小節で完結するので、ちゃんと12小節で完結するように弾く、そう弾くべきだ……日本人は誰に教わらなくても自動的にそう考えて弾いてしまいます。
ジャズが好きで20年以上ジャズを聴き込んでいる人でも、いざ自分がアドリブする段になるとコーラス内できっちり収めたアドリブをします。
名盤を沢山聴いていて、ジャズはそういうものじゃないと耳や知識で知っていてもそうなってしまうのです。
もうこれは日本人の本能といっていいでしょう。
ジャズのアドリブを行うためには、この本能と対峙し、少なくともアドリブをしている時だけは克服する必要があります。
ではなぜコーラスを遵守してはいけないのでしょうか?
12小節でひとまとまりなんだから、12小節でまとめて何が悪いの?
確かに、12小節で完結する楽曲を12小節できっちりまとめることは、音楽的には正しい行いです。
が、ジャズ的にはNGです。
なぜなら、ジャズは<逸脱>の音楽だからです。
12小節の楽曲をきっちり12小節でまとめると<逸脱>がなくなり、ジャズじゃなくなってしまうのです。
この<逸脱>は、黒人文化に由来します。
奇抜なファッション、スポーツのトリッキーなプレイ、誰も聴いたことのない音楽、黒人スラングetc、黒人文化には<逸脱>が溢れています。
それをしっかりと汲み取って表現していくことでジャズがジャズになっていきます。
1コーラスが今まさに終わり、次のコーラスに入る瞬間、日本人は本能的にそれを守ろうとします。
それが気持ちいいし、安心できるからです。
一方で黒人文化であるジャズはそれをNGとします。
ここに黒人文化と日本文化の相克があります。
そして、僕が知る限り、残念ながら日本人はこうした相克の際、日本文化を堅持する傾向があります。
「日本人だから」
「日本風にやって何が悪いの?」
「かぶれてるw」
その裏にあるダブルスタンダードについてはこちらで書きました。
ジャズをジャズにするためには、日本人としての気持ちよさ、安心感を捨てる必要があります。
逆に言えば、コーラスをまたいで弾いたとき、気持ち悪く感じたらそれが正解だということです。
盲目的に気持ちいい弾き方を選んでしまうと、それは日本人の気持ちよさで弾いているだけなので、ジャズにはなりにくいのです。
さて、前置きが長くなりましたが、コーラス終わりの例を挙げてみましょう。
①コーラスをまたがない
こちらは毎コーラス12小節でまとめ、次のコーラスの頭からまた弾き始めています。
そのためやや硬く感じられ、1コーラスを何度も聴かされている印象になります。
②コーラスをまたぐ
こちらは次のコーラスの頭を律儀に待たずに、必ずコーラスをまたいで弾くようにしています。
そのためコーラスとコーラスの境目がぼやけ、ソロに連続性がでています。
また、<逸脱>具合がいい感じにジャズを醸し出しています。
またぎ方はいろいろありますが、それは今後説明していきます。
もしどっちも同じに聞こえるという人がいたら、正直ジャズを聴く量が足りません。
50年代~60年代中盤までのジャズの名盤をもっと聴きましょう。
ある程度聴いてきたはずなのにな~という方は、コーラスの境目でソロイストがどう演奏しているのかを聴き込みましょう。
ちなみに、コーラスまたぎは絶対ではなく、人によって、あるいはソロの流れによっては一旦コーラスをまとめて、次のコーラスの頭からスタートする場面も当然あります。
ただ、比率としては間違いなくコーラスをまたぐ方が多いはずです。
ではコーラスをまたぐ練習をしてみましょう。
その際気持ち悪さを感じたら、それをそのままにして楽しんでください。
その先にジャズがあります。
くれぐれも気持ち悪いからといってコーラスをまたぐのをやめないようにしましょう。