先日プロデューサーの松尾潔氏が所属事務所「スマイルカンパニー」との突然の契約解除を公にし、波紋が広がっています。
松尾氏はMISIA、SPEED、宇多田ヒカル、CHEMISTORYなどをプロデュースした超大物。
ざっくり経緯を述べると、松尾氏がジャニー喜多川氏の性加害問題にツイッターで何度も言及、その後ジャニーズと懇意の所属事務所「スマイルカンパニー」から契約解除を申し渡される。
この事務所には山下達郎・竹内まりや夫婦も所属。
後に松尾氏が山下氏に弁護士を通して本件について賛成したかどうか事実確認をしたところ、「そうである」と返答が帰ってきたことにより、松尾氏は「残念だ」と発言。
動画で観たい人はこちらがおすすめ。
これについて世論が反応し、山下達郎への批判が噴出、達郎氏はそれを受けてラジオ「山下達郎サンデーソングブック」にて言及したようです。
サンデー・ソングブック|山下達郎 OFFICIAL SITE
こちらも同長谷川良品氏の動画がわかりやすい。
達郎氏の反論(?)についてはいろんな捉え方があると思いますが、正直ジャニー氏の性被害がここまで公になり問題となっている今、ジャニー氏を礼賛し、彼の性被害について「知らなかった」ととぼけられる神経には唖然としました。
これを受け、当然ネットは炎上。
失望論が広がっているようです。
ここまでが前提。
ここから個人的な感想です。
僕は山下達郎ファンでもないし、どっちかというとあのねちっこい歌が好きではなく、ほとんど聴いてきませんでした。
メディアでもまず見ないので人物像も全く知りません。
イメージとしては、なんとなく世間と一緒で、メディアとは一線を引く昔気質の音楽職人という風に勝手に思っていました。
さて、今回の件を知り、僕は「山下達郎もミュージシャンなんだなあ…」と変な感想を持ちました。
世間と著しくズレており、自分の音楽を広め・稼ぎ・食っていくためなら黒い人物のたいこもちも平気でするアウトな人間……。
世間を揺るがす大事件も、一般人よりもはるかに近いポジションにいたにもかかわらず「全くあずかり知らぬこと」とすっとぼける面の皮。
そして極めつけは伝家の宝刀「嫌なら聴くな!」www
見事な人格破綻っぷりに「あー、この人はミュージシャンなんだ…」とはじめて親近感を持ってしまいました。
この清々しいクズっぷりは槇原敬之の「宜候」を聴いたときと同じ感覚です。
さて、達郎ファンはこの一連の流れをどう受け止めたのでしょうか?
細かく調べる気はありませんが、「がっかりした」と思っている人が多いでしょう。
しかし、あなたが達郎氏の音楽を長く楽しめているのは間違いなくジャニー氏の恩恵です。
ジャニー氏の力がなければ達郎氏は音楽業界、芸能界でここまで生き残ってはいけなかったでしょう。
達郎氏が高潔な人格者だったら、もっと早い段階でひねり潰されていたはずです。
達郎氏は間違いなくジャニー氏とジャニーズ事務所の黒さを飲み込んで生きてきました。
ですから、彼の音楽を楽しみ、感謝することが間接的にジャニー氏の存在を認め、ジャニー氏にも感謝することになります。
ジャニー氏の過去の犯罪を糾弾し、達郎氏の一連のリアクションを非難するのであれば、達郎氏本人の言う通り、彼の音楽はもう聴くべきではありません。
ここで都合よく「作品と人物は切り離すべきだ」とか「プロで生きることは綺麗事じゃない」と言う人は、達郎氏同様自分(の趣味や嗜好)を守るために性加害にやんわりと加担していることをちゃんと認めながら達郎氏の音楽を楽しみましょう。
アーティストの人格破綻を無理矢理存在していないことにして、そこから創造された美しい世界をエゴイスティックに堪能するというのも、芸術の魔的な愉しみのひとつですし、個人的には全く非難するつもりはありません。
僕自身もそうして芸術をエゴイスティックに愉しんでいる人間なので。
もちろん社会正義を信じ、泣きながら達郎氏の音楽を捨てるのも自由です。
人格を取れば作品が楽しめず、作品を取れば人格破綻を受け入れ、加担してしまう……達郎ファンは今後このジレンマに苦しめられることになります。
一番楽なのは、「それでも自分は達郎の音楽を楽しみたい」と自分のエゴやダブルスタンダードをさっさと認めてしまうことです。
この一線を越えられた人は芸術に向いています。
マッキーや小山田圭吾のときも言いましたが、そろそろミュージシャンに正しいことを期待するのはやめましょう。
期待するだけ無駄ですって。
音楽で食ってる人間がまともなわけないですから。
今回の件で、リスナーがミュージシャンに社会正義や人格の高潔さを求めるのは、推しに対する期待や神格化ではなく、単に自分がめんどくさいことに巻き込まれたくないというエゴではないかと思えてきました。
自分が推しているアーティストが犯罪を犯したり社会通念上問題のある発言をしたとき、ファンは当然その渦中に巻き込まれ、余計なことを考えさせられてしまいます。
作品と作者、作者の人格と作品の美しさ、社会と芸術、推す気持ちと社会通念の相克……。
いちいちそんな面倒なことを考えたくないから、ファンはアーティストに高潔で、人格者で、正しく、常に社会正義の側に立ち、いつまでも美しくあってほしいと願うのではないでしょうか?
だとすれば、ファンという人達もなかなか面の皮が厚い人達だと言えるでしょう。