八幡謙介ギター教室in横浜講師のブログ

ギター講師八幡謙介がギターや音楽について綴るブログ。

あと10年以内にミュージシャンはこぞって田舎に住むようになる


八幡謙介ギター教室in横浜

ちょいちょい書いてるミュージシャンの未来シリーズです。

 

僕はあと10年ぐらいで都会からミュージシャンが消えると考えます。

もちろん全員いなくなるということはないでしょうが、半分ぐらいは田舎に散っていくのではないかと思います。

といっても夢破れてとか食えなくてということではなく、どっちかというと上(成功者)から順にさっさと都会に見切りをつけて田舎に散っていく気がします。

引退とか隠居ではなく、バリバリ仕事があるからこそ田舎に引っ越すのです。

では、なぜそうなるのか?

 

まず、コロナウイルスが収束する頃にはもうリモートライブが当たり前になっていくでしょう。

お客さんはもちろん、ミュージシャンもそれぞれ自宅から配信しライブする。

メインの歌手だけはステージからとか、いろんなパターンがあるでしょうが、リモートに移行するのは間違いないでしょう。

そのためのツールは既にYAMAHAが開発しています。

k-yahata.hatenablog.com

今後も開発は世界中で加速していくでしょう。

 

ライブがネットだけになると淋しいと感じる人も今は多いでしょうが、人はどこまでも怠惰で忘れっぽい生き物です。

わざわざ会場まで足を運んで、高い金払って窮屈な思いでライブを観ていた日々はすぐに過去の遺物となります。

 

 

リモートが当たり前になるとミュージシャンもかなり楽できるようになります。

大きい楽器のプレイヤーは持ち運びに苦労しなくてよくなるし、そうでなくても移動で時間と体力を奪われなくて済むようになるので助かります。 

機材泥棒や故障の心配もかなり減ります。

時間の面でいうと、会場まで片道2時間として単純に往復4時間浮けば、その間に別の仕事や家事、育児、その他用事を済ませられます。

 

音楽活動や音楽の仕事がネットに移行していくと、もはや都会に住み音楽をやることがデメリットとなっていきます。

仕事のほとんどあるいは全部がネットなのに、わざわざ高い家賃を払って騒音に気を使いながら都会に住む必要は全くありません。

あと10年もすれば、

 

「まだ東京出られないんだ…」

「早く僕も売れて東京出られるように頑張ります」

 

なんて会話がミュージシャンの間でなされるようになるでしょう。

都会に住んでいることが売れてない証拠となり、ネットで変なあだ名が付けられます。

例えば「江戸っ子」とか(いつまでも東京から出られない下層ミュージシャンという意味)。

 

ミュージシャンが田舎に住むメリットは、なんといっても騒音とスペースでしょう。

田舎には、無防音でドラムセットをフルパワーで叩いても誰にも文句言われないようなポツンと一軒家がごろごろあります(実際に僕の地元にもそういう家がありました)。

また、機材なんていくらでも収納できるという家もいっぱいあるでしょう。

なかったらなかったで敷地に機材用のプレハブでも建てればよし。

ギターベース数十本、ドラムセット数台、キーボード十数台、その他アンプ、スピーカー、アウトボードなどいくらでも機材を置けます。

爆音出し放題、機材ストックし放題、しかも土地が安い! と、田舎はリモート時代のミュージシャンにとって天国のような場所となります。

ミュージシャン業が田舎でもできる、田舎発信でも有名になれるとなったら、もはやミュージシャンが都会に住む意味は完全になくなります。

 

問題は、田舎の人がミュージシャンを受け入れてくれるのか?

これに関して、実は芸術家を田舎に誘致するプログラムが既に存在しているのです。

  • アーティスト・イン・レジデンス

air-j.info

  • 徳島県神山町の例

www.daiwahouse.com

 

 

記事を読む限りでは、地域にもよるけど田舎が全て閉鎖的で都会から引っ越してきたオフィスやアーティストに冷たいというわけではなさそうです。

これのプロミュージシャン版ができてもおかしくないでしょう。

地方の限界集落がプロミュージシャンを誘致、空き家無償提供、引っ越し代、防音施工などを肩代わり、その代わり地域限定の楽曲を制作したり、年○回地元でライブ開催…みたいな。

もしかしたら既にあるのかもしれませんが。

 

コロナ渦を経て、音楽そのものがこれまでと全く違う次元に突入すると僕は思います。

と言うとなんだかSFかぶれのように聞こえますが、音楽の歴史は変革の歴史です。

その変革を紐解くと、

 

フィジカル→ヴァーチャル

 

という法則が見えてきます。

そもそもフィジカルに演奏したものをフィジカルに体感するしかなかった音楽が、データとして記録し、再生されるようになったのも音楽のヴァーチャル化と言えるでしょう。

そうして記録された音源は、フィジカルな状態(レコード、CD、カセットなど)からデータそのものへと移行しました。

また、昔はレコーディングスタジオでしか録音できなかったのが、PC一台で可能となったのもレコーディングのヴァーチャル化です。

1台でいくつもの音が出せるシンセサイザーは楽器のヴァーチャル化。

何百というエフェクターを1台の機材に詰め込んだマルチエフェクターや、ネット経由であらゆるマイキングのあらゆるギターアンプを呼び出せるKEMPERもアンプのヴァーチャル化でしょう。

初音ミクは歌手のヴァーチャル化です。

このように、音楽に何かしらの革命が起こるとき、必ずフィジカルからヴァーチャルへと移行しているのがわかります。

そしてついに、その波はプレイヤーそのものにまで及ぶ時代が来ました。

もはやプレイヤーはフィジカルにその場にいなくても合奏できるのです(実用化されていませんが)。

 

プレイヤーがあるライブに参加するのにその場にいなくてもいいとなると、音楽のあり方そのものが激変するでしょう。

そのひとつとして、僕はミュージシャンの田舎への移住が当たり前になると考えています。