八幡謙介ギター教室in横浜講師のブログ

横浜でギター教室を運営するギタリスト八幡謙介が音楽やギターについてつづるブログ

アーティストの反抗も結局は健全な社会の恩恵に過ぎない

サウンドハウス

先日椎名林檎率いる東京事変が、コロナウイルス感染拡大における政府のイベント自粛要請下において、ライブを決行しました。

そのことについて僕はこちらで批判しました。

k-yahata.hatenablog.com

記事には253ブックマークが付き(3月9日現在)、様々な意見が飛び交っていたようです。

その結果、2020年3月第一週の「今週のはてなブログランキング」第14位になっていました。

blog.hatenablog.com

<img src=”blog.jpg” alt=”2020年3月第一週のはてなブログランキング”>

 

さて、そんな中「たぶんこういう意見出るだろうなー」と思っていたのが、『アーティストは反抗してなんぼ』みたいなやつ。

いくつか出ていたようです。

実はこれについても記事の中で織り込み済みなので説明する必要はないんですが、せかっくなので書いておきます。

 

結論から言うと、アーティストが反抗できるのも社会のおかげです。

政府が機能していて、治安がそれなりに守られていて、インフラが回っていて、経済が豊かだからこそ、政治や大人に対して歌で反抗する余裕が生まれるのです。

だからといって、アーティストは普段からそれらに感謝してつつましく生きろとは言いませんが、今のような非常時には大人しくしておくべきだというのが僕の考え方です。

そして、また社会が健全さを取り戻してから(社会の庇護の元)反抗の歌を歌えばいい。

私見ですが、ロックアーティストほど大人になってから社会活動に精を出すのは、自分が反抗できたのは健全な社会のおかげと気づいたからだと思います。

 

個人的には反抗は大いに結構だと思います。

芸術としてもひとつの大きな、普遍的な主題ですしね。

ただ、その反抗が誰のおかげで成立しているのかは考えてみてもいいと思います。

音楽にしろ、映像作品にしろ、反抗を主題とした作品が誰のおかげで観客に届いているのか。

それを考えたとき、その反抗がとても恥ずかしいものだと気づくはずです。

まあいつまでも気づかずに、最終的に社会から排除されたり、気づかないまま死んで永遠になるのもまた一興ですが。

僕はどちらかというと、社会の庇護を受けながら反抗を作品にすることを恥じ、苦悩しているようなアーティストが好きです。

 

ふと思い出したんですが、芸術家と社会みたいな主題はこちらの小説に書きました。

結構前の作品ですが、主題は僕の中に生きていたようですね。

興味ある人はどうぞ。

余命・原始人と火

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  • 作者:八幡謙介
  • 発売日: 2013/07/08
  • メディア: Kindle版
 

 

 

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