八幡謙介ギター・音楽教室in横浜講師のブログ

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椎名林檎(東京事変)がライブを中止すべきだった理由 あと野田秀樹氏の意見書について

2020年新型コロナウイルスの猛威

新型コロナウイルスの拡散が拡大する中、2月26日、政府は2週間程度イベントの中止、延期を要請しました。

その直後(当日)から相次いでイベントがキャンセル、あるいは無観客開催するなどの対応がなされてきました。

そんな中、2月29日に椎名林檎率いる東京事変が東京にて復活ライブを決行しました。

www.j-cast.com

また、演出家の野田秀樹氏は公演開催を望む意見書を公開しました(リンク文末参照)。

これ(東京事変ライブ強行)について自分なりに色々考えてみましたが、やはり中止すべきだったという結論に至りました。

なぜそう考えたのかをここに記しておきます。

 

ちなみに、ちょっと込み入ってるので先にまとめておきます。

本記事まとめ
  1. アーティスト活動は社会が健全だから行える。
  2. 今その社会が新型コロナウイルスにより機能低下している。
  3. 健全な社会の恩恵を被ってきたアーティストが、社会機能をさらに低下させるような催しを行うべきではない。
  4. 2週間公演中止して演劇が死ぬんならそれが定めなんじゃね?

 

以下、具体的に解説します。

椎名林檎がライブを中止すべきだった理由

そもそも、アーティスト活動というものは社会が健全であるからできるものです。

内戦や飢餓、それこそ疫病が流行しているときに音楽だの芝居だのをやってる余裕はありません。

ライブひとつにしても、治安がまずまず安定しており、インフラが整っていて、経済もそれなりに回っており、病気が蔓延していないから行うことができるのです。

アーティスト活動は、そうした健全な社会の庇護のもとに保証されているといってもいいでしょう。

(もちろん歴史上、不安定な社会にアートで戦った者もいますが、それはまれなケース)

アーティストが歌を歌い、役を演じ、絵を描き、踊りを踊れるのは、全て健全な社会の恩恵です。

さて、2020年に入り、その社会の健全性が足下から揺らいでいます。

新型コロナウイルスの拡散です。

政府はそれを食い止めるため、イベントの見合わせ、不要不急の外出の自粛、小中高の臨時休校に踏み切りました。

そして前述したように、あらゆるイベントが急遽中止、延期となりました。

そんな中、椎名林檎率いる東京事変は1万人を集めてライブを決行。

これに対して非難が集中する中、擁護論も出ています。

中でも「ミュージシャンがライブするのは会社員が仕事するのと同じ」という意見には確かになと一瞬納得しそうになりました。

が、

よく考えてみれば、一般職の方ができる限りいつも通り働くことと、アーティストが活動することは意味が違います。

一般職の方は、いわば社会を回すために働いています。

とくに公共交通機関などは、ストップすれば社会的ダメージは計り知れません。

一方、アーティストは彼らが回してくれている社会に乗っかって働いています。

お客さんがライブに来られるのは、交通機関が正常に運行しているからです。

ライブで大音量を出せるのは、電気が通っているからです。

そうやって非常時にも働いてくれている、一見ライブとは無関係な一般職の方々のおかげでライブが成り立っているのです。

アーティストは、そうした一般職の方々が社会を回してくれているおかげで活動できるのです。

<img src=”city.jpg” alt=”静かな街”>

そんな中、コロナウイルス感染が拡大している今、感染率の高いとされるライブを行うことは、恩を仇で返す行為と言えるでしょう。

それだけでなく、自分が行ったライブで新たな感染集団が生まれ、さらに感染が拡大し、いよいよ社会が機能しなくなったとしたら、アーティスト活動はさらに窮地に立たされます。

だからこの2週間は耐えるべきなんだと思います。

アーティストはときに社会の上に立ち、社会をリードする存在になり得ますが、それと同時になお社会の庇護と恩恵を誰よりも被る存在でもあります。

なぜなら、ひとたび社会が混乱し、その機能を損なったとき、アーティストの芸など何の役にも立たないからです。

(今回に関していうと、ネットに新しいコンテンツを公開することで在宅しながら時間をつぶせる娯楽を提供できますが)

だから僕は、アーティストは非常時には社会の邪魔にならないよう大人しくしておくべきだと考えます。

それがアーティストにできる唯一の恩返しといってもいいでしょう。

そうしてまた社会が機能を回復した際に、己の芸で人を楽しませてあげればいいのです。

野田秀樹の意見書

演出家の野田秀樹氏は、公演中止要請への意見書を公表したそうです。

www.asahi.com

文中、公演の中止(劇場の閉鎖)は「演劇の死」を意味しかねないとありますが、この程度の騒動で死ぬ文化ならそれでいいんじゃないでしょうか?

既にコロナウイルスが原因で破産したホテルやクルーズ船があり、今後はビュッフェやスポーツジムにも波及しそうですが、それでもビュッフェの閉鎖は「ビュッフェの死」を、ジムの閉鎖は「筋トレの死」を意味しかねないとは誰も言いません。

仮にたった2週間公演を中止しただけで演劇文化そのものが死ぬのなら、そもそも最初から瀕死だったからではないでしょうか?

 

これまで、様々な文化や業種は歴史の中で淘汰されてきました。

その中で一般職は消滅してよくて演劇は、あるいは芸術は保護されるべきだという理由が僕には分かりません。

芸術だろうが一般職だろうがいらないものは消えていくのが定めです。

そこに保護を求めるのであれば、まずは自分たちを保護してくれるであろう社会の健全性を保つ一助として、やはり今は公演を中止するべきでしょう。

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