先日、20年使ってきたストラトを売りに出してふと思ったこと。
楽器を長くやっていると、「一生モノ」と思える一本と出会うことがあります。
特に日本人はモノに対する執着が強いので、そう考える人が多いのではないでしょうか?
しかし、20年以上ギターをやっていると、「一生モノ」という楽器や、そうした考え方は不要だということがわかってきます。
単純に、自分の趣味嗜好が変わってきたり、どうしても新しい楽器が必要になり、金策のために愛着のある一本を売りに出さないといけなくなる日が来るからです。
その時に「一生モノ」という考え方や、楽器との思い出は、自分にブレーキをかけてしまいます。
思い切って楽器を変えると、今まで見えなかったものが見えるようになります。
また、楽器のグレードが上がると、その楽器に見合ったプレイができるようになろうとモチベーションも上がってきます。
古い楽器も、たいして弾きもしないのに手元に置いておくぐらいなら、それを必要としている人に使ってもらう方が良いはずです。
そうやって、楽器はどんどん世の中に回していくべきだとぼくは考えます。
いつも同じことばかりやってしまっているというミュージシャンは、思い切って機材を一新してみると新しい方向性が見えてくるのかもしれません。
思い出のある楽器だからどうしても手放せないという人も多いでしょうが、冷静に考えれば思い出というのは自分の気持ちの問題です。
物質としてそのギターがある手元にあるかどうかというのはあまり関係ない、ということが手放してみてわかりました。
また、思い出というのはある種のエゴです。
そのエゴから「このギターはこう弾かないといけない、このギターではこういう音楽をやらないとダメだ!」という固定観念が生ずるのなら、そういった思い出のない新しいギターの方が良い音や、いい音楽が作れるのではないかと思います。
思い出のあるものからこそ価値のある何かが生まれるというのは、日本人独特の幻想でしょう。