習い事でも仕事でもなんでもいいんですが、熱心にやっていた割に簡単にやめられる人がいます。
一方、やめようと思っても簡単にやめられない人もいます。
自分の中でも『もうちょっと』『もしかしたらこの先になんかあるかも』『楽しくないわけじゃないし…』とずるずる続けてしまったり、先輩や先生、友達に引き留められたり。
この辺の違いが先々に及ぼす影響について書いてみます。
何かを簡単にやめられた人は、まずそのことに縁がないと思っていいでしょう。
人がなにかをやめるとき、意外といろんな人が反応をしめします。
習い事なら先生、先輩、同期、後輩、同じ業界の人、家族、友達、今ならSNSのフレンドやフォロワーなどなど。
仮にやめると決めて動きはじめたとき、それらのどこからも引き留められなかったり、抵抗に遭わなかったとしたら、もう完全に縁がないと考えて間違いありません。
ちなみに、嫌われているとか必要とされていないというのとはまた違います。
僕も一回だけ、10年ほど続けたあることを突然やめたことがあります。
そのとき、本当にどこからも一切引き留めや抵抗が起こらず、びっくりするほどすんなり辞められました。
一番引き留めてきそうな人からも「いいんじゃない」とあっさり言われて驚いたのをいまだに覚えています。
あと、そういうことに一番嫌みを言ってくる身近な人からも何も言われなかったのも今考えれば不思議ですね…
結局僕とその対象には縁がなかったようで、辞めてから一歩たりともその界隈に足を踏み入れておらず、今では全く未練もありません。
万が一また始めたとしてもたぶんすぐにやめるでしょう。
一方、やめたいと思い実際に動きはじめたとしても、縁があればやめられません。
必ずどこかから強い抵抗があったり、熱心に引き留められたり、手助けがあったりするものです。
僕の場合はギターがそうです。
ギターをはじめてもうそろそろ30年になりますが、やめようと思い本気で動いたことが何回かはあります。
しかし、その都度不思議と強い抵抗にあったり、思わぬ助け船が出たりしてなんとかやってこられました。
自分の中では、「やめさせてもらえなかった」というのが一番しっくりくる感覚です。
今では『どうせまたやめようとしてもやめさせてもらえないから続けるしかない』という感じです。
もちろん好きではあるし、意欲もあり目標もあり、充実した毎日ではありますが、やめようと思ってもやめられないというのはなかなかヘヴィなことでもあります。
結局一番いいのは、何かをはじめて、やめる理由も意思もないのでいつまでもダラダラ続けていたという状態。
たぶんそういう人が一番対象と縁があります。
やめようと思ってもやめられないというのは、その次に縁があると思います。
やめようと思ったけどそこそこ抵抗に遭って辛かったけど最終的にやめられたというのはあんまり縁がなかった。
やめようと思ったらびっくりするぐらい何の抵抗もなくやめられたというのはたぶん全く縁がなかった。
ちなみに、この話とやる気、努力、才能、結果などは全く関係ありません。
余談ですが、人はだいたい縁がないことをやりたがります。
そういうことほど簡単に目の前に現れ、刺激的でキラキラしているように見え、簡単にはじめられ、そして簡単にやめられます。
私見ですが、縁それ自体は幸福でも不幸でもありません。
縁にはいいものもわるいものも全部含まれています。
悪縁という言葉もあるくらいですから。
何かと本当に縁があれば、必ず悪いものもはっきりと見えるし降りかかってきます。
だからいいものだけ見えて、気楽に、手軽にはじめられ、簡単にやめられることには縁がないのです。
ただ、簡単にやめた人ほどなぜか縁を信じ、また簡単にはじめようとします。
僕が10年続けてやめたことも、実は何度も再開することを考えました。
しかしその都度、たぶんまた同じことになるだろうなと思い断念し、結局一度も再開していません。
こんなお気楽にやめてまたお気楽にはじめようとすることに縁はないと今では確信しています。
僕もそろそろいい歳なので、もう縁のないことに時間は費やしたくありません。