横浜ギター教室ではピッキング・フィンガリングフォームに確固たる理論が存在します。
その理論に従って弾けば、ほとんどの問題は解決できるということは既に実証済みです。
また、あるレベルを超えると理論から外れたフォームが有効となることも確認しています(←これも理論であると言えますが)。
理論が存在するということは、常にそれを守る努力が必要となります。
例えば、僕が教えるフィンガリングでは、親指を固定せず、常に腕と一緒に動かします。
しかし、多くの人は親指をネックに押しつけ、固定して弾こうとします。
このとき、フィンガリングは理論から外れています。
そうして理論の外に出たものを理論内に引き戻すという作業をかなりの時間行わないとフォームは習得できません。
こうした作業は退屈で、一見非生産的、停滞的に思えます。
フォーム習得の辛さは、その退屈さに耐えることの辛さであると言っていいでしょう。
上記の辛さから抜けだそうと、フォームの探求に走る人は後を絶ちません。
フォームの探求とは、「ここをこうすればもっと良くなるのではないか」「他にもっと効率的なフォームがあるのではないか」とあれこれ自分で探し、工夫しようとすることです。
それも、数週間数ヶ月といった短期間で。
こうした行為は、いくつかの意味で間違っています。
まず、何を採用するにせよ、そのフォームを守る期間というのは絶対に必要です。
それは最低でも1年は持つべきでしょう。
ということは、少なくともその1年は探求する必要はありません。
ひたすらフォーム(理論)を守り、はみだしたらその都度理論通りに戻し、その効用をじっくり観察し、定着させることに費やすべきです。
どんなに熱心に練習したとしても、たった数週間や数ヶ月で特定のフォームに答えを出すことはできません。
ですから、そんな短い期間であれこれ探求すると、間違いなく空回りしてしまいます。
また、誰かに習っているのにその人の提唱するフォームを差し置いて新しいフォームを探求するというのもおかしいです。
僕の教室にもそういう方が過去に何人もいらっしゃいましたし、他の講師さんもよく議題に挙げているので、どこにでもいるんでしょう。
まあ、普通に失礼ですよね……。
中には、まだ曲も満足に弾けないのに自分で作ったフォーム理論を僕に教えだす人もいます。
そういう人には逐一訂正するのですが、最終的に理解できなければ「そこまでフォームに詳しいなら僕が教えることはもうないので、フォームに関しては独学でやってください」と言います。
もちろん、そう言うと辞めていきます。
厳しい講師さんは、生徒さんがレッスン内容と違うことを探してきた時点で辞めさせるそうです。
気持ちはよくわかります。
それぐらい、生徒さん独自の探求は、教室のレッスンプランにとって妨げになってしまうものですから。
というか、自分で探求したいならなんで習いに来たのか理解できません……
といっても、探求は常にマイナスになる、レッスンの妨げになるというわけではありません。
例えば、いろんな音楽を聴く、アーティストについて深く知る、いろんな楽器を弾いてみて違いを理解する、音楽活動を広げていく……といったことは確実にプラスになりますし、レッスンにも還元されます。
ただ、全部が全部そうはないということを知っておくべきでしょう。
特に、フォームの習得(ただし理論が整っている場合に限る)や、教則本の内容を進めていく場合は、言われたことを守る、書いてある通りにするということが重要となります。
昔から言う、守破離の「守」というやつでしょう。
それはある種の人にとっては耐えられないほど退屈な作業であることはよく承知していますが…