アドリブを学んでいる人のほとんどは、まず蓄えを増やそうとします。
フレーズ、アプローチ、間などを自分の中にたくさん蓄えて、その中からアドリブを構築する。
その蓄えが充実していればいるほどアドリブは豊かに、より深いものになるというイメージがあるのでしょう。
確かにそれま間違ってはいません、あるレベルまでは。
しかし、あるレベル(それもそんなに高くない)を越えると、蓄えから構築するアドリブは必ずマンネリ化します。
蓄えた中からアドリブを構築し、やがてマンネリ化してきたことに気づいたときどうするか?
さらに蓄えを増やそうとします。
もっとたくさんフレーズを覚えて、もっといろんなアプローチを勉強すればマンネリは打破できるだろうとほとんどの人は考えるでしょう。
しかし、それでもやはりマンネリは解消されません。
そもそも、蓄えから構築するというアドリブ法自体がマンネリ化の元凶なのです。
だからそれをやっている間は何をしようがマンネリから脱却はできません。
フレーズやアプローチを蓄え、そこからアドリブを構築するという手法は、初心者から中級者へと進む明快な道ではありますが、中級者で必ず行き止まりになってしまいます。
ではそこかや脱却する、あるいはそれを最初から回避するためにはどうすればいいのか?
アドリブを、自分の蓄えから作るのではなく、探しにいくものだと認識しましょう。
仮に蓄えがちゃんとあり、それを使ってしっかりしたアドリブが十分できるとしても、それはそれで置いといて、毎回どこかに探しに行くのです。
そうやって探しに行っている中で、自分が蓄えているものと同じ何かを見つけ、使うこともできますし、思いもよらない何かを発見したり、よく知ってるけど持っているものとちょと違うやつが見つかるかもしれません。
このように、アドリブを「蓄える」から「探す」に変換すると、一回一回何らかの刺激があり、小さな発見があります。
それを重ねていくことでいずれ大きな変革が期待できます。
蓄えから構築していくと、安定感や安心感はありますが、やればやるほど使い方やしまう場所、組み合わせ方が決まってき、そこから動かなくなっていきます。
ちなみに、ジャズの場合はそうした安定感や安心感は敵であり、忌むべき概念となります。
また、蓄えから技を構築し、やがて成熟して一人前になり、さらに研鑽を積んで達人になるという日本式の段階を踏むことはジャズではできません。
ジャズの場合は、蓄えは蓄えで持っていてもいいが、それはそれとして毎回探しに行くという行動が絶対に必要なのです。
ここがジャズの西欧的、あるいはアフリカ的なところであり、アジア的でない価値観です。
客観的に見てそこそこ弾けているのに、なぜかマンネリ化してしまう、そこから脱却できないという方は、自分が蓄えからアドリブを構築していないか一度考えてみましょう。
そうだとしたら、それを捨てて探すアドリブに変えないとマンネリは脱却できません。