最近は減りましたが、以前は若い子でまだギターも全然弾けないうちから才能について悩む人が一定数いました。
『自分は才能がないから…』
『先生、僕才能ありますか?』
などなど。
その都度なんと答えていたか忘れましたが、今ならこう言うでしょう、
その前にできることがあるでしょ?まずはそれをやろう、
と。
才能云々の前にできることはいくらでもあります。
ざっくり挙げると、
努力
金
政治
この三つでかなりいろんなことができます。
才能がなくても努力すればかなりのところまではいけるし、変な意味ではなく、お金で解決できることも沢山あります。
また、人脈を作ったり、人を集めて動けばいろんなことに融通が利くようになります。
これらのうちどれか一つでも突出していればやりたいことは実現できるのではないかと思います。
お金は限界があるとして、努力と政治は身ひとつでわりとどうにでもなります。
それをやり尽くした先にあるのが才能です。
まだ全然努力もしてない(自分ではしてると思っている)うちから才能について言及するのは、内心やめる理由を探しているのでしょう。
また、その責任を誰かに取らせるために自分の才能のあるなしを訊いてまわっているのかもしれません。
「先生に才能ないと言われたからやめた」ということにすれば自分の責任ではなくなるので。
事実、やることをやっていて、これからも自分でできることはなんでもやるという人は才能なんて言葉を口にしません。
「○○が苦手」とか「自分は下手」といったネガティヴな言葉を言う人はいますが、そういう人はちゃんと継続し、できる範囲で努力しています。
僕自身のことについて書いてみましょう。
今年で28年ぐらいギターを弾いていますが、音楽に関して才能があるかどうかはまだわかりません。
というか、そこには興味がありません。
なぜかというと、努力でできることがまだまだあるからです。
金で解決できることもいっぱいあります。
だから才能について考えている余裕がありません。
たぶん小説に関しては才能はあると思っています。
なんでかというと、何の訓練もせず習いもせずいきなり書いたら書けたし、完成させられなかった作品は一度もないからです。
評価も上々ですし、まだまだアイデアもいくらでも出てきます。
世の中には小説が書きたくても書けない、書いても完成させられない、完成しても反応が来ないという人がいくらでもいるので、じゃあ自分は才能があるのかなと思っています。
その分、小説に関しては努力・金・政治を無視しているので、小説家デビューもできないし、たぶんそのうち書き手としてダメになるでしょう。
まあそれならそれで別にいいんですが…
自分のどこが才能がないのかを知りたがっている人は多いと思いますが、それを探す前に、今努力できることを探した方が賢明です。
それをやりきれば、必ず次が見えてきます。
また、努力していれば出会いも生まれるし、周りからの評価も変わってきます。
それができない人は才能がないのではなく、自分が努力を拒否しただけです。
もちろんそれも自由だし、そのときそのとき楽なことを選んで生きていくことも否定はしません(僕も音楽以外はそんな感じです)。
ただ、その選択を「才能がない」ことのせいにして責任転嫁するのはやめましょう。
人事を尽くさないことを自分が選んだだけであって、才能は関係ありません。