ここ最近、何度か「やる気」について書きました。
「やる気」も含めて、気分に左右されると物事の継続が困難になります。
なぜかというと、気分というのは常にコロコロと変わりコントロールが難しいからです。
そんなものに従ってしまうと何も続けられなくなります。
気分→行動というルーティンを持っていると、いいときはいいけど、ほんのちょっと気分が重くなったり、やる気が出ないだけで継続が中断されてしまいます。
合気道の達人・東平光一先生は「心が身体を動かす」と説かれていたと本で読みました。
読んで字のごとく、心が動けばそれに従って身体がついてくるということでしょう。
しかし、これは現代ではもう古いと僕は思います。
なぜなら、現代には心を惑わせるものが多すぎるからです。
ギターを練習するにしてもありとあらゆる情報、活動形態、コミュニケーションが溢れていて、心をどこに合わせていいか分かりません。
そうすると心(思考)が停滞した状態になるので、身体がついてこなくなります。
おそらくそうならないために心身を鍛えよというのが、東平氏のような昔の人の考え方なのでしょう。
しかし、そのためにも継続が必要となります。
そもそも心が安定しないから継続できない人に「心が弱いからだ!心を鍛えるために武道をやれ!」と言っても、結局それも継続できないので方法論として無意味です。
ではどうすればいいのか?
まず、心→身体というルーティンを疑います。
気分が乗ってるから○○する、気分が乗らないからしない…など、気分に従って行動するのをやめましょう。
もちろん、行動の前にやる気を出すのもNG。
最初うまくいっていたとしても、そのうちどっかでやる気が出なくなります。
そして新しいやる気を出す方法を編み出す…という余計な仕事が増えるだけです。
じゃあどうするかというと、心を無視してとりあえずやることをやってみます。
「やる気が出ないのにやれるわけがない」と言う人もいますが、それは思い込みです。
やる気がなくても学校や仕事には行けるし、授業や業務もこなせます。
既に心がない相手との結婚生活だってそれなりにやっていけますよね?
当然、そんな状態では中身はついてきませんが、それはそれでいいのです。
楽器の練習も、やる気があろうがなかろうがとりあえずはじめてみます。
やる気もないのに何かを初めても、「やっぱやる気出ねーな」「どうしても頭が動かない」「やりたくない…」となります。
当たり前ですよね、やる気がないときにやってるんですから。
じゃあやめて結構です。
「結局一緒じゃん!」と思った方、実は全然違います。
やる気がないから最初からやらないという人は、間違いなく近い将来継続を断念します。
一方、やる気はないけどとりあえずやってみてやっぱりやめる人は、継続することは難しくなく、その分再起できるチャンスがあります。
前者は心(やる気)に完全に支配されていますが、後者は心と行動を切り離しています。
心に支配されている人は心が動かなくなったらそこで終わりですが、心と行動を切り離せる人は心が沈んでもとりあえず一歩は動くことができます。
その一歩が、いずれまた「今日は二歩歩けた」「三歩いけた」と動ける日が来るでしょう。
それまでは完全停止しないように最低限の行動だけ行う、それが心(やる気)がなくてもとりあえずやってみることの意義です。
やる気はないけどギターだけ持ってみて、やっぱ何もしないという行動は、後々十分意味を持ちます。
中にはやる気が出なくて本当に身体が動かない人もいるでしょう。
それはもう鬱病なので医者に診てもらいましょう。
逆に、やる気はないけど動くことはできるのなら病気ではないので、一歩動いてみることは有効です。
ただし、その後で付いてくる心はちゃんと拾うようにしましょう。
一歩動いて「やっぱ無理」ならすぐにやめて結構です。
それを無視して動き続けると本当に心が壊れます。