物事は継続することが大事です。
では何かを継続するためにどうすればいいか? と考えて、多くの人はやる気に着目します。
やる気を出せれば何かを継続するなんて簡単、努力も苦じゃなくなるし、楽しくなってくるはず、だからやる気を出そう!
やる気が出ない人はまずやる気になるための方法論から探そう!
……はい、こんなことをやってるから中途半端なところでやめてしまうんです。
「やる気」を出せば何でもできるという考え方は、「やる気」は永遠に枯れない、枯れてもまたすぐに燃やせるという前提の元に成り立っています。
もちろんこれは間違っています。
やる気なんてものはいとも簡単に消えてなくなります。
また、出そうと思ってもなかなか思い通りに出てくれません。
仮に出てくれたとしても、また思いも寄らないタイミングで枯れていき、すぐ消えてしまいます。
まず、このやる気の脆弱性をきちんと認識しましょう。
仮にやる気に頼って何かをはじめたとします。
やる気が継続しているうちはうまくいくでしょう。
しかし、やる気は必ず消えるものです。
するとどうなるか?
もちろん、継続できなくなります。
そこでもう一回やる気を出そうと頑張る人もいて、なんとかまたやる気を出して再開できるケースもあります。
しかしまた数ヶ月、数年したら同じことが起こります。
あるいは、一度やる気がなくなったらそれまでという人も多いでしょう。
そういう人はこう考えがちです。
『自分には○○は向いていなかったんだ、だからやる気が出なかった。もっとやる気になれるものを見つけよう、そうだ△△なんてどうだろう!』
そうやってやる気になれそうな何かを見つけます。
今度は前やってたことよりもやる気が出ている気がします。
そうして再挑戦してみたものの、またやる気が出なくなってしまった……
『……自分はもしかしたら根本的にダメな人間なんじゃないか?』
やる気に頼った結果こうして自己嫌悪に陥ることもあります。
繰り返しますが、やる気は必ず枯れて、どこかでなくなります。
それを想定せず何かをはじめるから、枯れたときにショックを受けるのです。
そもそも、何かを始めたり、継続するために、なぜやる気が必要なのでしょうか?
例えば習い事で教室に通うとします。
やる気があったら通えてやる気がなくなったら通えないということはありません。
やる気なんてあろうがなかろうが教室に行くことはできます。
やる気がないと怪我をするようなことだったとしても、それは怪我に注意すればいいだけで、やる気は必要ありません。
やる気がないからといって赤信号をふらふら渡ったり、歩行者や自転車とぶつかりまくるという人は いません。
やる気があろうがなかろうが、やることはできます。
そして、身が入っていなくてもダラダラと継続さえしていれば、またいい時がいずれやってきます。
やる気がある→やるというフローの人は、やる気がなくなったときに必ず停滞してしまいます。
そうなりたくなければ、まずやる気を出してからやるという悪習慣をやめましょう。
やる気なんかあってもなくてもやることはできます。
そして、やる気がなくてもぎりぎりやれる人は10年単位で物事を継続できます。
そういえば一昔前は『やる気ないなら帰れ』が部活の定番の叱責でしたが、今考えれば意味がわかりません。
なぜやる気があるから来ている普通の人を褒め、やる気がないのに来れる強いメンタルの人を叱責し、帰してしまうのか?
どう考えても「やる気」がない状態で来ている人の方が強いし、少なくとも継続する才能はあるはずですが。