ジャズ好きは性格悪い、ジャズシーンは陰湿だとよく言われていて、僕自身もそう思うしそういったことを見たりされたりもしてきました。
これまではジャズという音楽や、それを学ぶ過程で人がどこか陰湿になっていくものだと解釈していましたが、なんとなく違うのではないかと思い当たることがあったので書いておきます。
結論から言うと、ジャズミュージシャンやジャズと言う音楽が陰湿なのではなく、ジャズミュージシャンの活動形態が個人攻撃を受けやすいのです。
ロックと比較してみましょう。
ロックの場合は概ねバンドに所属し、バンド単位で動きます。
正規メンバーでもサポートメンバーでもこの点はさほど変わりません。
一方ジャズミュージシャンは完全に個人で動きます。
もちろん演奏はバンド単位で行うのですが、それはほとんどの場合がその日限りのバンドであり、同じメンツでずっと動いているという事はほとんどありません。
ジャズはあくまで、個人がその時その時のメンツと仕事をするものです。
さて、ここである人物が気に入らないミュージシャンAをつぶしてやろうと画策したとします。
このAがロックミュージシャンだったらどうでしょう?
Aのバックには彼の所属するバンドが存在します。
当然、そのバンドはよっぽどのことがない限りAの味方につき、彼をかばうはずです。
つまりロックミュージシャンAを潰すためには、彼の所属するバンドごと潰さなければならないのです。
一方Aがジャズミュージシャンならどうでしょう?
この場合彼を潰したければ彼一人をターゲットにすればOKです。
もうわかりますよね?
問題はジャズミュージシャンが陰湿だとか、ロックミュージシャンはそうでもないとかいうことではありません。
ジャズミュージシャンは個人で動くのでターゲットにされやすいというだけです。
そして、ジャズミュージシャンを潰そうとするのはジャズミュージシャンです。
だからジャズだけが特に陰湿に見えてしまうのでしょう。
陰湿さで言うと、ジャンルは違えど同じ人種であればそう大差はないはずです。
それでもロックがジャズより陰湿でなさそうに見えるのは、ロックミュージシャンの性格がどうのと言うよりは、個人を潰すためにはグループを相手にしなければいけないという手間があるので、攻撃が回避されているというだけでしょう。
ジャズミュージシャンはそうした自分の脆弱性を知ってか知らずか、どうしても大樹の陰による傾向が出てしまいます。
それが、活動が内向きになったりシーンに根強い派閥ができたりする原因なのではないかと思います。