フー・ファイターズは前から好きだったんですが、常に情報を追っているというほどでもなく、先日初めてドラムのテイラーが亡くなっていたことを知って愕然としました。
しかも1年以上前です……。
好きなドラマーだったんですが、残念ですね。
なお、亡くなったときに滞在していたコロンビアのホテルには10種類以上の薬物があったとか……
そういえばドキュメンタリー映像でもテイラーが薬物中毒で入院し、デイブが心配するシーンがありました。
辞められなかったのか…
と、この事実を知り、等価交換論者の僕はテイラーの死をデイブの等価交換として考えました。
以下その考察です。
「等価交換の実践」で僕は「カミ」の存在について言及しました。
簡単に言うと、代価を自分の周りの人間に払わせて報酬を得る人のことです。
もちろん本人がそうしたくてしてるわけではないのですが、なぜかこの人が成功していく過程での周りの人は不幸になっていくという人が世の中には存在します。
日本のアーティストではYOSHIKIがそれです。
関わった才能のある人たちが次々と死んでいき、一方で本人は成功していっています。
こうした人を僕は「カミ」と呼び、「カミ」に関わることで不幸になった人を「御役目」と呼んでいます。
デイブ・グロールはどうやら「カミ」だったようですね。
そしてテイラーは「御役目」を果たしたようです。
デイブ・グロール
そこで改めて考えてみると、カート・コバーンもデイブの「御役目」であったと考えた方がよさそうです。
もちろんカート自信歴史を変えたミュージシャンでもあり、その結果の特級等価交換として亡くなったと「等価交換の実践」でも書きましたが、どうやらテイラーの死も含めて考えるとカートの死は特級等価交換でもあり、デイブのための「御役目」遂行でもあったと考えられそうです。
これはHIDEとYOSHIKIの関係性とも共通します。
HIDEの死は、その才能、人気、そして死後30年以上経ってもまだカリスマとして語り継がれていることをかんがみると、特級等価交換であったと考えるのが妥当でしょう。
一方で「カミ」であるYOSHIKIの「御役目」として命を捧げたという見方もできます。
そうなると、本人の等価交換と「御役目」は重なることがあると考えるのが自然です。
これは想像というかもはや妄想に近いのですが、カートやテイラーはデイブと一緒にバンドをやっていなければ死にはしなかったのではないかと。
同じように、HIDEやTAIJI、YOSHIなどもYOSHIKIと関わっていなければ命までは失わなかったのではないかと思います。
彼らはその功績から考えて特級等価交換として莫大な代価を支払わされるのは間違いないとしても、「カミ」と関わっていなければもしかしたら命までは持っていかれることはなく、ぎりぎり全財産を失うとか二度と音楽ができなくなるとかそれぐらいで済んでいたかもしれません。
等価交換の代価として命まで持っていかれるケースは、もしかしたらその影に必ず「カミ」がいるのかもしれませんね。
今回デイブ・グロールがどうやら「カミ」だと判明し、ひとつ認識を新たにしたことがあります。
それは「カミ」=超人、天才、鬼才というわけでもなさそうだということです。
YOSHIKIは本人もその代価の支払い方もまさしく「カミ」にふさわしい人物ですが、そもそもHIDEだって歴史に残る天才です。
YOSHIKIがXの音楽性を確立させるためにHIDEの才能が絶対に必要だったというのはファンなら誰でも知っている話です。
また、デイブに至ってはカートほどの才能はどう考えてもありません。
もちろんいいドラマー、いいシンガー、いいコンポーザー、いいリーダーですが。
しかし、結果的にどうもデイブは「カミ」であり、カートの方がデイブの代価を支払う「御役目」を引き受けたと考えるのが自然です。
つまり、「カミ」=必ずしも歴史に名を残す天才ではないということでしょう。
「等価交換の実践」でも書きましたが、昔から言う「さわらぬ神に祟りなし」というのは等価交換の法則にも当てはまります。
身近に「カミ」らしき人がいたら関わらないようにしましょう。
「等価交換の実践」では「カミ」=神のごとに才能を持った人と定義しましたが、どうもデイブを見ているとそこまででなくてもいいようです。
もちろんデイブも素晴らしいミュージシャンですが……
改めて考えると、「カミ」とは”近い人の不幸と反比例して成長する人”と定義した方がいいかもしれません。
もしそういう人がいたら近寄らないようにしましょう。
でないと次の「御役目」はあなたかもしれません。