最近tiktokなどでよく見る、ストリートピアニストがその場で曲を聴いて耳コピするやつ。
あれはあれで確かに凄いです。
耳コピ本を出している僕でも、そこまでの速度で耳コピはできないです。
ただ、あれを観て『こういうことができないとミュージシャンになれないのか?』と愕然としている人がいたらご安心ください。
あんなもんできなくてもミュージシャンになれます。
というか、ミュージシャンの99%はあれできません。
その辺を解説します。
まず、即耳コピが出来る人は恐らく絶対音感を持っています。
相対音感ではあれはできないでしょう。
つまり、即耳コピはある種のチートスキルみたいなもんです。
また、絶対音感もミュージシャンの9割は持っていません。
絶対音感がなくてもミュージシャンになれるし、絶対音感があってもミュージシャンになれない人もいます。
ミュージシャンをやるとしたら、曲を覚えるスピードは速ければ速いほうがいいに決まっています。
仕事でやっていれば短期間で膨大な曲を覚えないといけないという場面はよくあります。
ただ、動画でよくあるような一回聞いて即演奏ということはあまりありません。
なぜかというと、仕事でそんないい加減な段取りをする人はめったにいないからです。
まあジャズではたまにありますが……
昔ジャズミュージシャンをやっていたとき、セット間にヴォーカルの人が突然「この曲やりたいから覚えて」と言ってきて、10分程度で覚えて演奏したことがありました。
それでもかなりレアなケースです。
今は通信手段が発達しているので、演奏曲のデータを事前にやりとりしやすくなっており、昔よりもさらに突然演奏するというケースは減っているでしょう。
極論すれば、音楽の仕事としてちゃんとしていればしているほど即耳コピは必要なくなっていきます。
即耳コピは、実はミュージシャンの現場ではあまりなく、ストリートピアノ動画などのフォーマットありきでの能力だと言ってもいいでしょう。
たまたま居合わせた観客からリクエストを受けてその場で弾くという驚きがそのままコンテンツになっています。
もちろんそれはそれで楽しく、見応えがあるものだとは思いますが、そういったパフォーマンスを観て「これぞミュージシャン!」「これが音楽の本質だ!」と思う人がいたら、ちょっと違うと言いたいです。
何ヶ月もかけて入念にリハーサルをした上で演奏される音楽よりも、その場で即耳コピした音楽の方が本質的だという考えは理解できません。
即耳コピ系ストリートピアノ動画にはその良さがあり、入念なリハーサルの後に演奏されるコンサートや、じっくり時間をかけて作られる音源にはまたそれぞれの良さがあるというだけです。
即耳コピ系のパフォーマンスに、独特の驚きや感動があることは否定しません。
しかし、ミュージシャン視点で観ると、どうしても失われてしまうものがあります。
それは音楽の中身です。
今聞いたばかりの音楽を今すぐ際限すると、どうしても中身が抜けてしまいます。
なぜなら、その楽曲の世界観やメッセージ、一音一音の意味、表現の必然性などをじっくり理解し、吟味し、練習する時間がないからです。
その結果、演奏は記号の再現に留まらざるをえません。
即耳コピというスピード感やその驚きが中身のなさを一時的に消してくれますが、そうしたハプニング的要素を排除し、音楽としてちゃんと聞くと、それが記号の再現でしかないことがよく分かります。
そうした手軽さ、スピード感重視、本質の欠如がtiktokなどのショート動画と相性がいいので、即耳コピ動画が流行っているのもうなずけます。
こうしたフォーマットありきの中身を度外視した演奏ばかりしていると、やがて楽曲を記号の羅列としか認識できなくなってしまいます。
僕自身ジャズミュージシャンをやっていたときにそこに陥ったことがあるのでよく分かります。
即耳コピはスピードを重視するあまり、音楽から重要な要素をごっそりと抜いてしまう行為です。
もちろんそれで得られるものもありますが、失うものも大きいでしょう。
これから即耳コピ系パフォーマンスで名を挙げようと訓練している人はそこらへんを注意しておかないと、気が付けば対応が早いだけで中身のない(音楽の中身が理解できない、表現できない)ミュージシャンになっていたという悲惨な結果になりかねません。
もちろん、パフォーマンスとして即耳コピをやるのは自由ですが、同時に1曲をじっくり時間をかけて自分のものにしていく訓練もしておいたほうがいいと僕は思います。