今までいろんな人に音楽を習ってきて、一番よかったこと、感謝していることは、自分の状態をはっきり言ってくれたことです。
それをしてくれた先生は、覚えているだけでは一人だけ、教則本にも書いたリッチー・ハート先生です。
リッチーは大学のときの先生で、とにかく明快な人でした。
ベースを聞け、歌えというのもリッチーから教わったことです。
そんなリッチー先生が卒業間近の僕に、「ケン……気を悪くさせたくはないんだけど、君のピッキングは初心者のピッキングだ」とめずらしく気まずそうに告げました。
当然僕はショックを受けましたが、はっきりと言ってもらえたことで「じゃあピッキングをやり直そう」と考えられるようになりました。
もしかしたら、ピッキングを理論化して書籍にするという流れもここに端を発しているのかもしれません。
事実をはっきり言われるのはショックです。
しかし、知らされないことのほうが残酷だし、問題が尾を引きます。
たしかバスケ全日本の新監督トム・ホーバス氏がオリンピック後のインタビューで「NBAを解雇されたとき、理由を教えてもらえなかったのが一番辛かった」と言っていた記憶があります。
自分のやっていること、習っていることについて、それがいいのか悪いのか、できているのかできていないのか、何ができていて何ができていないのかをずっと知らずにいることは不運だし不幸です。
なので僕はレッスンにおいて何ができている/できてない、何をすべきか/すべきでないか、いいか悪いか、どうあるべきかをはっきりと告げます。
中には明らかに動揺する人や、ショックを受ける人、逆ギレする人もいたりしますが、それはもう仕方ないことだと思っています。
生徒さんに好かれるために、辞められないように、お茶を濁して教えるのは性に合いません。
といっても激しい口調で責めたりダメ出しばっかりするわけではありませんよ。
ただ、できてるかできてないかをはっきりさせているだけです。
あと僕の特徴としては、できてないことができるまで永遠に待ちます。
なんとなくで済ませて課題だけ先に進めるということは基本しません。
進み方は生徒さんの進捗状況に合わせるので、レッスンについて来れないということがありません。
そういった点で続けやすいと思って下さる方も多いです。