八幡謙介ギター教室in横浜講師のブログ

ギター講師八幡謙介がギターや音楽について綴るブログ。

自分のレベルを低く見積もっても何もいいことはないので、きちんと修正して適正レベルで生きた方がいい


八幡謙介ギター教室in横浜

技術、学力、能力、容姿などなど、人にはそれぞれレベルがあります。

そのレベルを測り間違うと色々としんどいことが起こってきます。

今回は、本来レベルの高い人が自分のレベルを低く見積もってしまったケースについてお話します。 

美人すぎて困っている人

以前ネットニュースで、美人すぎて困っている人の悩みが紹介されていました。

男性と話をすればすぐに勘違いされ、後に告白される。

その気がないので断ったら逆上、いやがらせ、パワハラなどが発生する。

女性からは嫉妬され、身に覚えのない噂をされる。

こんなことなら綺麗に生まれなければよかった……というちょっと贅沢な悩みです。

ネットニュースなので本当のことかどうかは知りませんし、解決法なども書いてはいませんでした。

ただ、なんとなく僕が思うに、この人は自分のレベルをあえて低く見積もって生きているんだろうなという気がします。

 

「私はそんな美人じゃないですよ、普通ですよ、だから普通に接してね、特別扱いしないでね…」

 

そういう空気を出して生きている、だからうだつの上がらない男性でも「ワンチャン行けんじゃね?」と勘違いし、女性からは逆にイラつかれるのでしょう。

この人が楽しく有意義に生きるためには、まず自分が美人であることを認め、その美人度に合った容姿や振る舞いをするべきだと僕は思います。

 

私はこのレベルの美人ですけど、何か??

 

というオーラを出していれば、ほとんどの男性は怖じ気づいて近寄ってこないし、女性は逆に尊敬するんじゃないでしょうか?

また、類は友を呼ぶので、自分がちゃんと適正レベルに収まっていたら同じレベルの人が自然と寄ってくるので、自分の容姿のことなんか全く気にせずに楽しめる仲間に出会えると思います。

それを変に謙遜し、自分のレベルを下げてしまったが故に次々とトラブルが起き、果てはせっかく持って生まれた美しさまで憎んでしまうことになるのです。

こんな話はいくらでもあります。

もっと勉強ができるのに偏差値の低い学校になぜかいる、サッカーが上手いのになぜかそこそこのチームにいる、楽器が上手いのになぜか下手な人たちとバンドを組んでいる……。

ここまでが前振りです。

 

 

自分の高いレベルを認識するのは傲慢ではない

日本人は、自分のレベルが高いことを認識することが苦手です。

確かに、『自分なんてまだまだ』と思っておくことで何事にも精進できるし、角も立ちません。

ただそれは表向きの言動であって、内面ではしっかりと自分のレベルを客観視し、適正レベルを見定めておく必要があります。

本来もっと高いのに何らかの理由で低く見積もってしまうと、上記の美人ような不幸が起こります。

それは自分だけの不幸ではなく、周りも巻き込んでしまうやっかいなものです。

一人だけ美人のあの人がいるためにグループがおかしくなってしまった、飛び抜けて上手いあいつがいるせいでチームの和が乱れた…などということはいくらでもあります。

お互いの幸福と発展のためには、それぞれが適正なレベルで適切な場に存在する必要があります。

そして、それを実行するべきなのは概ね場違いにレベルの高い個人の方です。

ただ、そこに『自分はレベルが高いと勘違いして調子に乗ってしまっているのでは?』『上に行って相手にされなかったらどうしよう?』といった恐怖感が伴うのでなかなか動けません。

また、『ここにいた方が楽だしチヤホヤされるからここでいいや』というずるい計算が入るとさらにややこしくなってきます(この場合不幸なのは周りの方になりますが)。

もちろん、飛び抜けてレベルの高い人がいることでチームや場の刺激になり、全体のレベルが上がるという可能性もなくはないですが、現実には厳しいでしょう。

人間はそこまで高尚ではありません。 

高いレベルの人に構ってもらえるようになった結果不幸になった話

僕の経験をお話します。

自分が低レベルで、なぜかはるかに高いレベルの人に構ってもらえるようになったときのお話です。

 

詳しくは書けませんが、ある時期なぜか僕よりもはるかに高いレベルの人に構ってもらえるようになったことがあります。

本来は僕なんか一生無視されて当たり前ぐらいの人です。

最初は夢のようでしたし、嬉しく、誇らしく思っていました。

しかし、だんだんその関係性が苦しくなってきました。

相手はこれまでの輝かしいキャリアに加えて、さらにどんどん新たな仕事でキャリアを伸ばし、地位を盤石にしていっている一方、僕は全く先に進まず同じところに停滞しています(ちなみに音楽ではありません)。

それなのにとても気さくに、時にへりくだって接してくれたり、こちらのちょっとぶしつけなお願いも受け入れてくれました。

だからこそこっちも常に気を付けて、過度に馴れ馴れしくせず、適切な距離を保って、間違っても対等などと思わないように注意していました。

当然、いつからかその関係性が苦しくなり、だんだんその人の気さくさが腹立つようになってきました。

 

  • なんで俺みたいなもんに優しくするんだろう?
  • 俺と仲良くして何のメリットが?
  • どう考えても向こうからしたら俺なんて虫けらレベルでしかないのに?
  • 馬鹿にしてんのかな?
  • それとも何かの要員としてキープしてるだけ?

……

 

だんだんこんな卑屈なことを考えるようになってき、そんな自分も嫌になってきたのでその人とは距離を置きました。

向こうも何かを察したのか連絡してこなくなりました。

もしかしたら怒ってるのか、愛想をつかされたのかもしれません。

今考えれば僕のルサンチマンが原因なのですが、相手がそれを不用意に刺激しているのも間違いありません。

結局のところ僕がどう思われていたのかは分かりませんが、あまりにもレベルの違う人間同士が近づいたことで不幸な結果になった一例です。

ちなみに、距離を取って完全に他人状態に戻ることで僕はその人をまた尊敬できるようになりました。

再度連絡は取っていませんが、僕はもうこの距離で交わらないのが一番いいとすら思っています。

自分のレベルを客観的に測れる装置をつくろう

自分のレベルを認識し、高低にかかわらずそのレベルに合った場、人と交流することが大事だというのは分かってもらえたと思います。

最大の問題は、その自分のレベルをどれだけ正確に把握できるかです。

そのためには、自分のレベルを客観的に測れる装置をつくるのが一番です。

スポーツなら簡単でしょう。

競技に出れば自分のレベルがはっきり分かります。

芸術であれば、何らかのコンクールに出してみるのもありでしょう。

YOUTUBEも再生数やいいねなどで客観的な数値が測れます。

容姿やセンスなどは主観が入るのでかなり難しくなってくるので、勘違いが起こりやすくなります。

その場合は良いことも悪いこともきちんと客観的に言ってくれる人を探してみましょう。

いずれにせよ、自分のレベルはここだ!とはっきり認識できればそれでOKです。

その後は……特に何もしなくてもいいです。

自分のレベルをはっきり認識できれば、自分がそのレベルの人間になっていき、周りもそのレベルに応じて自然と変わってきますから。 

場違いなところにいれば浮くからすぐに分かるし、レベルの低い人には高嶺の花になるのでちょっかい出して来なくなります(過渡期でちょっと苦しい思いをするかもしれませんが)。

そこからひとつ上のレベルにいきたければ、今のレベルから何が足りなくて何が必要かを見定め、後は努力すればいいだけです。

それも自分のレベルを客観的に認識できていればこそ可能です。

 

このように、自分のレベルを客観的に認識するだけでかなりいろんな事が変わってきます。

それを変に謙遜したり博愛主義を発揮して皆平等だと勘違いしてしまうと自分も周りも不幸にしかねません。

そうなりたくなければ、勇気を出して、自分を知りましょう。