何かを評価することは自由です。
しかし、同時に「それを言ってる自分のレベルは?」と考えることができる人はまれです。
自分がその意見を言うに足るレベルまで来ているのか?
なにもこれは、音楽なら楽器の技術やそれを再現するといったことに限りません。
楽器が弾けなくても、自分の認識や審美眼(耳)がそれを言えるレベルにあるか、ということです。
そういったことは、過去を振り返ると理解できるはずです。
誰でも、昔を振り返って「あの頃俺は何もわかっちゃいなかったな」と思う出来事のひとつやふたつあるでしょう。
例えば、ジョージ・ベンソンの「Breezin」という楽曲があります。
この曲を初めて聞いたのは中学生のときです。
当時習っていた先生に「聞け」と言われたので、レンタルCD屋さんで探して聞いてみました。
当時は『なんだこのダサい音楽は』と思っただけでした。
まあ、メタル好きの中学生がいきなり「Breezin」ですから仕方ないっちゃ仕方ないですがw
それ以来、ベンソンは何度か聞きましたが(音大の師匠の師匠がベンソンですし)「Breezin」だけはダサいという思い込みが残っていたので避けてきました。
しかし、最近になってふと聞いてみると、めちゃくちゃ格好いいと思えました。
ということは、僕はずっとこの曲を中学生レベルで認識していたことになります。
あぶないあぶない……
とまあこんなことがしょっちゅう起こるので、僕はなにかを言う際、「それを言っている自分」を同時に考えるようにしています。
ヤバイかもと思ったら、知っていることでも必ずもう一度リサーチします。
その結果「ちょっと違うかな」と思ったり「まだこれは言えないな」とひっこめた言葉はたくさんあります。
そうやって自分のレベルを考えながら発言していると、少なからずリアクションも起こるし、信頼してくれる人も増えてきます。
これは思い込みではなく、はっきり数字として出ています。
とはいえ、自分のレベルを考えるのもまた自分ですから、そこが難しいところですが。