八幡謙介ギター・音楽教室in横浜講師のブログ

ギター講師八幡謙介が音楽やギターについてつづるブログ

努力の源を外部に求めない方がいい

応援→努力という構図

「誰かの応援で頑張れる」というのは確かにそうです。

身内や他人からの応援は、自分の心の中に不思議な力を生じさせます。

そのおかげで努力できた、辛いことも乗り越えられたという経験は誰でも一度はあるでしょう。

また、そうした経験から今度は自分が誰かを応援してあげる、そうした応援と努力の循環で社会が健全に廻っていくという美談を冷笑する気はありません。

ただ、個人的にはこの<応援→努力>という構図には決定的な脆弱性があり、何かを長期的に続ける(最低10年以上)際のプランとして採用するべきではないと考えます。 

いなくなったらどうすんの?

僕は便宜的虚無主義者なので、何かを考える際、まず最初にそれが”無い”状態(あるいは最初にあったものが無くなっていき、完全に尽きたところ)を想像します

もっと分かりやすく言うと、起こりうる最悪の事態を必ず想定するということです。

だから、「誰かの応援で頑張れる」という構図に対しては、『その応援してくれる誰かがいなくなったらどうすんの?』と自問自答します。

こういうことを口にすると必ず「なんでそういうこと言うの?」と呆れられたり煙たがられたりしますが、僕からすれば、他人が自分を永遠に応援してくれると思い込み、それを当てにして行動する方が不思議です。

といっても、これは「人は信用できない」と言っているのではなく、状況は必ず変化するということを冷静に捉えているだけです。

<img src=”cheer.jpg” alt=”応援してくれる人”>

さて話を戻しましょう。

誰かの応援で何かを頑張っているとします。

その誰かがいなくなったらどうなるでしょう?

いなくなった人をさっさと忘れてすぐさま別の応援してくれる誰かを見つけるなんてことはできませんよね?(というか、そんな人はたぶん応援してもらえないでしょう)。

いなくなった応援者をいつまでも引きずってしまい、努力できなくなったり、最悪頑張ってきたことを辞めてしまうということもあるでしょう。

何かを長期継続すればするほど、そうした出来事は増えていきます。

リアルなところでいうと、音楽を志すことを家族が応援してくれていたとしても、時間が経てば祖父母、親戚、親の順番で亡くなっていきます。

また、応援してくれていた友人も進学、就職、結婚、出産などステージが変わっていけば自然と離れていく人は増えていきます。

その都度ダメージを受けていては長期継続なんてできたものではありません。

だから努力の源を外部に求めないほうがいいよ、という話です。

応援はありがたく受け止めておく

といっても、応援してくれている人を内心『どうせこいつはどこかで離れていくだろう……』と距離を置いておくとか、無下にする必要はありません。

応援はありがたく受け止めておけばいいのです

ただ、それを努力の源にするべきではないという話です。

 

じゃあ何を力に努力すればいいのでしょう? 

努力の源はわからんのが一番

何のために努力するのか?

なにが努力の源か??

それは、わからないのが一番いいです。

応援されるからでもない、お金でもない、ステータスでもない、楽しいからですらない……なんかわからんけど苦労してでも勉強し、努力してしまうというのが一番長続きし、しかも潰れにくいです。

努力の源泉が「お金」なら稼げないと分かったら努力する気がしなくなるし、「楽しい」なら楽しくなくなった時点で終わりです。

まあ、そんときそんとき楽しければそれでいいという人は構いませんが。

 

なんのために努力してるのか分からないけどそれが当たり前になっているという状態が一番長続きし、潰れにくいと僕は思います。

サウンドハウス

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