世の中は残念ながら不平等です。
何かを目指して皆が同じスタートラインに立てるわけではありません。
また、スタートラインが同じでもある人はボロ船、ある人は豪華客船に乗っていたりします。
また、ある人には最高のクルーがついており、ある人は裸一貫ということもあります。
劣ったところからスタートする人は、ある意味不幸といってもいいでしょう。
では皆が完全に同じスタートラインに立ち、全く同じマシンに乗り、自分一人で走っていったとしたら……?
実はそちらの方が残酷な結末が待っていたりします。
誰もが完全に平等にスタートし、ある人は成功、ある人は挫折したとき、その責任は全て自分に降りかかります。
言い訳はできません。
境遇のせいでもない、マシンのせいでもない、クルーのせいでもない、全部自分の責任です。
成功すれば最高の充足感、高揚感、優越感に満たされるでしょう。
失敗すれば、立ち直れないほどの挫折感、敗北感を味わいます。
長年ギターを弾いてきてわかったことは、恵まれた境遇というのは確かにアドバンテージにはなりますが、決定打にはなり得ないということです。
例えば、100ポイントゲットすれば成功を掴めるとすると、経済や人脈のアドバンテージはせいぜい10ぐらいじゃないでしょうか。
持たざる人が頑張って追いつけないほどではありません。
また、成功する人、一人前になれる人は、だいたいどんな境遇でも頑張ります。
そもそも頑張る人にたまたまお金に余裕があったとか、周りに理解者がいたとか、その道のプロが助けてくれたというだけです。
境遇がまたまた恵まれていただけで成功したという人は、どこかで辛いこと、不幸なことがあればそこで潰れるはずです。
それでもぎりぎり踏ん張って続けてこられたということは、マイナス状態でも頑張れるという証拠です。
一方、努力できない人はどれだけ恵まれていても努力できません。
それどころか、恵まれたらその時点で潰れてしまいます。
恵まれないこと、不平等なことに愚痴ってやさぐれている人は、実はその不平等に自分が救われているかもしれません。
金さえあれば、コネさえあれば、チャンスさえ掴めれば、もし都会に住んでいたら、 才能さえあれば……
本当はそれが全てあってもダメだったかもしれないのに(その可能性が大きい)、そういった恩恵がないことで本当は自分も…とまだ夢をみさせてもらえているのです。
完全な平等からの挫折に救いはありません。
愚痴が吐ける、境遇を呪える、成功者を逆恨みできるというのは、実はまだ幸せなのかもしれません。