最近、このブログでも横浜のギター教室でも継続の重要性についてよく話しています。
今回は何かを継続していると具体的にどうなるのかを、僕の体験から書いてみたいと思います。
あくまで個人の体験ですのでご了承ください。
当たり前ですが、継続していると実力がつきます。
といっても、数年程度なら才能や要領の良さで埋まることもありますが。
3年目の人が1年目の人に抜かれるということはよく起こります。
しかし、10年目の人が1年目に抜かれるということは滅多にないでしょう。
そんなことはわかってる、その継続をどうやったらできるんだ……というのは今回の主題ではないので、上記のリンクから探ってください。
何かをある程度継続していると、必ず馬鹿にしてくるやつが現れます。
「まだやってんの?」「それ続けて何になるの?」「暇だね~」「将来どうすんの?」などなど。
これは嫉妬や焦燥感に由来します。
あなたが何かを継続し、何者かになりつつあるのを嫉み、あせって足を引っ張っているのです。
こういう人が出てきたら、そいつが何ができるのか、どんな特技を持っているのか、何に打ち込んでいるのかを客観的に観察してみましょう。
たぶん、何もないかあっても中途半端です。
ですから、馬鹿にしてくる人がいたら『嫉妬してんだなー、可愛そうに…』と無視しておきましょう。
相手にしなくていいし、悔しがる必要もありません。
もうちょっと継続したら消える存在ですから。
10年過ぎたぐらいから、ちょっとずつ尊敬されはじめます。
自分はただ継続しているだけで特に何の結果も残していなくても、継続しているだけで凄いと言われ、尊敬してくる人が現れます。
上記の馬鹿にしてきた人が掌を返してくることもあるでしょう。
あるいは、もう自分には届かない、足すら引っ張れないことを知って離れていくかどちらかです。
人から尊敬されはじめると色々と楽になってきますが、同時に天狗になったり、満足して先に進もうとしなくなる危険性もあるのでそこは注意が必要です。
何かをはじめて10年未満は、「どうせどこかで厭きてやめる」「本気じゃないだろう」「そのうち現実に気づくよ」と疑ってきた分別のある大人が、10年も過ぎると信用してくれるようになります。
また、初対面の人でもそういう人が現れはじめます。
10年以降は続ければ続けるほどこの信用度は高くなっていきます。
大人に信用されるようになると、物事の規模やスピード感が違ってきます。
10年まではそこまで信用されないので辛いこともあるでしょう。
その時期にやめてしまうと後悔や恨みが残ってしまう可能性があります。
そういった意味でも継続には意義があり、実利があります。
何かを継続し、信用されるようになってくると、意外なところから援助や救いの手が挙がることがあります。
金銭、保証、紹介、協力、精神的サポート等々、かたちはいろいろありますが、とにかく援助してもらいやすくなります。
これも10年未満では厳しいでしょう。
体感的には15年~20年でそんな感じになってきたような気がします。
継続はいいことばかりではありません。
だいたい15年過ぎたぐらいから、もう普通の人(それをやってない人、すぐにやめた人)と話が合わなくなってきます。
もちろん、世間話や専門分野(僕なら音楽)以外の話はいくらでもできますが、中途半端な音楽の話をされると全然かみ合わなくて疲れてきます。
あと、めんどくさいことを訊いてくる人も増えてきます。
その辺はこちらに書いたのでよかったらご一読ください。
個人的には、僕がミュージシャンだと知っていてあえて音楽の話を一切してこない人だと居心地よく過ごすことができます。
ちなみにレッスンは仕事なので、どんなレベルの人でも対応しますし、話がかみ合わなければ噛み砕いて理解できるように努力します。
ただ、プライベートまでそれをしたくはないです。
まあ、こういうのが表に出てると「鼻につく」「気むずかしい」と言われるんでしょう……
これは僕が実際困っていることなのですが、ただ単に継続してきたからできるようになったことを、「あなたは才能があるからそれが出来る。でも自分にはその才能がない。それを分かっているのか?」と言われて困惑することがあります。
例えば僕は今年で28年ぐらいギターを弾いていますが、他人からすれば僕の28年は見えないし想像もできないので、今現在の僕しか分かりません。
だから今僕が出来ることを普通に見せると才能だと勘違いされてしまいます。
そこで「才能じゃないですよ、僕も最初は全くできなかった、けどこれを継続していたらできるようになったんです、だから同じことを出来る範囲でいいので継続してください」と言ってもなかなか信用してもらえません。
才能があると思われるのは悪い気はしませんが、レッスンにおいて「結局先生は特別な人なんでしょ?」と思い込まれるのはちょっと辛いです。
例えば、耳コピなんて僕のメソッド(ギタリストのためのハーモニー)を5年も続けていればだいたいどんな曲でも耳でコードが取れるようになってきます。
ただ、継続しないと本当にそうなることがわからないし、はじめる前は想像もできないので、どうしても継続した人を才能があるからと決めつけてしまうのでしょう。
こう言うと「こいつヤベえな…」と引かれるかもしれませんが、なにかを30年近く継続していると、もはや神の意志すら感じるようになります。
というのも、たった3年すら継続できない人がほとんどで、5年10年と頑張る人もいるけど脱落していく人がどんどん出てきて、中にはいい感じに登っていく人もいるけどどこかでつまずいたり、引退したり、亡くなる人もでてきて、自分より上手くて華もあるのに全然相手にされない人もいて、そのうち自分の生徒が音楽を引退するような歳になって、気がつけば自分は他人の人生よりも長くギターを弾いている……そんなところまで来られたのは自分だけの力でもないし、もっと言えば家族や友人や関係者の協力だけでもないでしょう。
どうしても、「お前はもっとギターを弾いていなさい」と神様に言われていると考えざるをえなくなってきます。
なので、最近はかなり信心深くなっています(宗教は前から興味はありましたが)。
その僕もどこかで「はい、おしまい」とギターを取り上げられる日がいつか来るのでしょうが、まあここまで来たらそれはそれでしゃーないと納得できる気がします。