八幡謙介ギター教室in横浜講師のブログ

ギター講師八幡謙介がギターや音楽について綴るブログ。

プロになる人は才能という言葉を使わない


八幡謙介ギター教室in横浜

最近減りましたが、以前は関西や横浜のギター教室で定期的に「自分には才能がありますか?」と訊いてくる人がいました。

なんと答えていたかは忘れましたが、そもそもそういった質問をする人は努力してない人が多かったので、その前にやることあんだろ?と思っていた記憶があります。

 

ふとそんなことを思い出して、あることに気が付きました。

才能の話って、なぜか0か100しかありませんよね。

あるかないか。

どれぐらいあるか、どれぐらいないかといった量の話は聞いたことがありません。

そして、ないと言われた人はそこで諦め、あると言われた人は勝手に将来安泰だと妄想しはじめます。

 

そもそも、人の能力って0か100ではありませんよね。

また、作曲能力は高いけど作詞はダメという人や、楽器は上手いけど教えるのは下手という人はいくらでもいます。

モーツァルト弾かせたら最高だけどベートーベンはイマイチという人もいるでしょう。

そう考えると、音楽の才能があるかないか(0か100か)と考えたり、それを断定するというのは乱暴で無責任だと言えます。

 

 

音楽なら音楽で、自分にはどういった才能がどれくらいあるのか?

それを理解するためには、相当いろんなことにトライしないとだめでしょう。

当然いろんなことに失敗したり挫折したりします。

早々と才能について(0か100かで)訊いてくる人は、もしかしたらそういったことがめんどくさいからさっさと規定してもらおうとしているのかもしれません。

 

プロになる人は才能という言葉を使いません。

僕も自分の才能を探ったり誰かに規定してもらったことはありませんし、後にプロになった友人たちも才能という言葉を使っていなかったと思います。

そもそも、学生時代は才能について考える以前に今日やるべきことが山のようにあって、それだけで気力も体力も使い果たすような日々を送っていたので。

プロ活動はじめてからは、何をしたら社会に相手してもらえるのかを毎日試行錯誤していたので、やはり才能について考える暇もありませんでした。

そして、ギターを教え始めて17、8年経ちますが、いまだに才能を定義していませんし、する必要もないと考えます。

0か100の才能なんて分からないし、個々の細分化された才能(何にどれぐらい向いているのか)は本人が長期間かけていろんな事にトライしてはじめて分かるものだからです。

ギターレッスンとしても、才能規定する前にやることがいくらでもあります。

 

ひとつ言えるとすれば、先生に自分の才能を保証してもらわないと進められないという人には才能がない、0ということです。