キングレコード
1982年
作詞作曲 小椋佳
歌詞を解説する前に、ひとつ確認しておきましょう。
「夢芝居」の歌詞をざっと読んだとき、恋の歌なのか芝居や舞台の格言を歌っているのかとちょっと迷ってしまいます。
答えは最初と最後に出ています。
恋を芝居(舞台)に例えた歌です。
それを前提に見ていきましょう。
冒頭で「恋とは芝居のようなもんだ」と提言しています。
夢がつくことはそんなに深く考えなくてもいいでしょう。
次の「台詞ひとつ忘れもしない」というところがポイントです。
繰り返しますが、「夢芝居」はあくまで恋愛を芝居に例えた歌です。
ですから、ここで言う「台詞」とは舞台の台詞のことではなく、恋愛における台詞、つまり男女間の言葉のやりとりのことです。
それも単なる日常的な会話というより、もっと深く艶っぽい恋人同士の言葉のやりとりを連想させます。
ここで「忘れもしない」の「も」に注目しましょう。
例えばここが「忘れやしない」とか「忘れはしない」だったらどうでしょう?
あの日のこと 忘れやしない
あの日のこと 忘れはしない
だと、ポジティブないい思い出を連想させますが、それだけにちょっと薄っぺらくも感じます。
しかし、「忘れもしない」とあると、いい思い出だけでなく、恨みや後悔などマイナスな要素も含まれ、大人の深さや艶っぽさがにじみ出てきます。
あの日のこと 忘れもしない
こう言われると、なんだか得体の知れない迫力が感じられます。
このように、詩はたった一言で情景ががらっと変わるので面白く、難しいところです。
これもさらっと読むと「誰がこの舞台のすじがきを書いたのか、舞台の進行はどうなるのか?」と読めますが、あくまで恋愛を舞台に例えた歌として解釈する必要があります。
まず「花舞台」は恋愛そのもののことでしょう。
「花」は「夢(芝居)」との対比なので特に深い意味はありません(恋愛の象徴と取ってもいいですが)。
そうなると「この恋愛は誰が筋書きを書いたのか?」という意味になります。
そして、「この恋愛の行き先がどうなるのか、影すら見えない」と続きます。
やはりちょっと妖しい匂いがしますね。
この先の「細い絆」という部分ともつながってきます。
不倫なのか、道ならぬ恋なのか……梅沢富美男さんのキャラともマッチしています。
「あやつりつられ」は「あやつり、あやつられ」ということでしょう。
男女間の駆け引きのことを言っています。
気になるのは「細いきずな」と言っているところです。
普通なら「太いきずな」「強いきずな」としそうなところですが、わざわざ「細い」としているので、やはり危険な恋なのでしょうか……
この「稽古不足を幕は待たない」が、僕にはとてもエロく感じられます。
え、なんで? と思った方はちょっと想像力が足りません。
普通に読めば舞台や役者に対する金言でしょう。
あるいはスポーツの本番とか作品の締め切りと捉えることも可能です。
しかし何度も言っているように、この曲は恋愛を芝居に例えた曲です。
だからここも恋愛で解釈する必要があります。
まず「幕」ですが、舞台で言うと開演のことです。
では恋愛における「幕」=開演とは?
初恋、告白、デート、初体験……といろんな解釈ができます。
そこから考えて「稽古不足」とは何か?
異性や意中の相手の勉強不足、あるいはデートや経験人数不足……と想像が膨らみます。
ゲスい解釈をすると「例え経験不足でも、おっぱじまってしまったら相手は待ってくれないよ。お前がリードしないといけないんだよ」とも取れます。
そう考えるとかなり艶っぽい歌詞になります。
最後の「恋はいつでも初舞台」もいろんな解釈ができますね。
どれだけ稽古を積んでも、新しい恋をすればまるで初舞台のように緊張してしまう……などなど。
また、ラストにずばっと切れ味のいいフレーズを持ってきて締めるところが舞台っぽいです(その分時代がかっていますが)。
と、しっかり読み込むと「夢芝居」はかなり深みのある大人の恋愛ソングであることが分かります。
また、梅沢富美男さんのキャラクターともぴったり合っていて、歌が歌手を、歌手が歌を引き立てて相乗効果を発揮しています。
昔の歌はそういうものが多かった気がします。
二番以降も同じように恋愛を芝居に例えた歌詞として解釈してみてください。