米津玄師の「Lemon」の歌詞で、解説し忘れていた箇所があるので、追記しておきます。
前回の解説はこちらから。
サビの後半で「雨が降り止むまでは帰れない」とありますが、これってかなり謎の歌詞ですよね?
なんで雨が降り止むまで帰れないの?
なんで降り止んだら帰れるの?
どこに帰るの?
てか、なんで急に雨??
……
まじめな人は雨のメタファー(寓喩)と帰る場所について想像を巡らせていると思います。
さて、個人的にはこのラインに意味はないと思います。
じゃあなんでこんな歌詞を書いたのか?
意味がないんなら書かなくていいじゃん???
……いや、雨にも帰る場所にもメタファーとしての意味はありませんが、このラインそのものには意味があります。
それは何かというと、前回記事で説明したこの歌詞の構造から読み解くことができます。
前回の記事で僕はこの歌詞の構造は強烈な色彩の対比であると指摘しました。
前半から極端に固有名詞が省かれ、ダークで単一的な色彩の世界が続き、そこに「レモン」という鮮やかな色彩の物質がバーンと出てくることにより「今でもあなたは私の光」という最後のラインにつながるという構造です。
そこでこう考えてみましょう。
「雨が降り止むまでは帰れない」というラインがなかったとしたら?
胸に残り離れない苦いレモンの匂い
今でもあなたはわたしの光
これだとあまりにも「レモン」と「光」がつながり過ぎていてちょっと直接的すぎます。
いかにも準備しました、どうこの効果! ここでドーンとレモン持って来てそれを光につなげる僕の技術すごいでしょ? と作詞者のドヤ顔が目に浮かんできます。
そこで、「レモン」と「光」の間にあえてクッションとしてそれまでと同じ抽象的かつダークなラインを一節入れておきます。
さらに言えば、ここに入れる歌詞は意味不明であればあるほど効果を発揮してくれるでしょう。
そうすることで「レモン」と「光」が一度きれいに分断されて、一瞬それらがつながっていることを忘れさせてくれます。
胸に残り離れない苦いレモンの匂い(明)
雨が降り止むまでは帰れない(暗)
今でもあなたはわたしの光(明)
「雨が降り止むまでは帰れない」というラインは、それ自体にメタファーがあるのではなく、純粋に歌詞を自然に仕上げるためのテクニックだと僕は解釈しています。
だからこのライン自体の意味はどうでもいいのです。
まあ本当のところはどうか知りませんが。
こうやって色々考えるのも音楽の醍醐味でしょう。
みなさんはどう考えますか?