日本人がジャズを演奏するとき、最も難しいのがエンディングです。
なぜなら、エンディングをきっちり成立させるためには、強い意志と強引なディレクションが必要だからです(事前に打ち合わせができる場合はまた別の話。今回はセッションの流れでぶっつけでエンディングを作るケースについて)。
『要は強いリーダーシップを持ってってことでしょ?』と捉える人もいるでしょうが、それは少し違います。
リーダーシップという言葉には、どうしても根回しや忖度といった概念が入ってきます。
そうではなく、ある意味まわりの意見を無視して強引に自分のやり方で進めないと、エンディングは成立し辛いのです。
また、伴奏者もソロイストにそれぐらいの強力な意志と行動力(演奏力?)を求めています。
このような強引なディレクションは、日本においては忌み嫌われる行為です。
しかし、ジャズのエンディングにおいてはそれをきっちり行わないといけないのです。
ジャズ経験者なら誰でも、エンディングでほんの一瞬忖度しようとしたせいでタイミングを逃し、崩壊してしまった経験があるでしょう。
強い意志と強引なディレクション……これは黒人的というよりアメリカ的な価値観であり、ジャズがアメリカの文化であることをこういったところからも感じられます。
すくなくともジャズを演奏している間は、そういった人間にならないといけないということです。
ソロも同じだと思う人もいるかもしれませんが、意外とソロはぐだぐだでも成立するものです。
サイズも決まっているし、万が一自分のソロが崩壊しても誰かが助けてくれるので、演奏が止まるということはまずないでしょう。
また、自分の演奏している内容がメンバーに伝わらなくてもそれはそれでどうにかなります(本当はダメなんですが)。
しかしエンディングはそうはいきません。
いつ、どうやって終わるのかを明確に共演者に伝えないとすぐに崩壊してしまいます。
エンディングのディレクションが伝わらなくて、各自がバラバラのタイミングで終わろうとしたり、循環からいつまでも終われなかったり(仏頂面でエンドレスループするベース、苦笑いするドラマー、なんとかきっかけを出そうとするピアノ、呆然と立ち尽くすソロイスト……)。
ある程度セッションに行ったことがあれば、そんな経験は誰しも一度はあるはずです。
イントロやソロ、バッキングなどはある程度コンセンサス(あるいは忖度)でなんとかなります。
しかし、エンディングはそうはいきません。
「ここで終わるぞ!」という強い意志を持って、強引に全員をそちらに動かさないと成立しません。
普段からそんなことが軽々とできる日本人はまあいないでしょう。
だから、ジャズの演奏ではっきりとしたエンディングを出せるようになるためには、人間的に一皮むけないといけないのです。
ここがジャズの難しいところでもあるし、面白いところでもあります。
そんなに難しいことならさぞかしあちこちで口をすっぱくして教えているかと思いきや、実際は真逆です。
僕はいろんなところでジャズを習いましたが、エンディングについて習った記憶がありません。
僕にジャズを習いにくる人も、エンディングについてこんなに詳しく習ったことはないといいます。
なぜそうなっているのかは僕にはわかりません。
個人的に、ジャズの最もジャズらしい瞬間というのはエンディングだと思います。
だから僕はエンディングをきっちり教えるようにしています。
生徒さんも難しさにもだえながらも楽しんでくれています。