音楽ではたくさんの記号が使われます。
コード、スケール、各種音符、休符、などなど。
そして、それらを美しく組み合わせたものを楽器を使って再現することで音楽が奏でられます。
ポピュラーな音楽の世界で、こういった記号の扱いに最も長けているのがジャズミュージシャンです。
以前ご説明したように、ジャズの現場ではほぼリハなし、限りなく初見に近い状態で本番が行われます。
なぜそれが可能かというと、ジャズミュージシャンの即興による記号処理能力が極めて高いからです。
しかし、こうした能力は、しばしばある勘違いを生み出します。
自戒を持ってあえて断定します。
ジャズミュージシャンは、記号が合っていれば音楽が成立していると思っています。
記号さえ合っていれば音楽は楽しめるもの、お金を取れるものだと勘違いしています。
僕もそう思っていました。
だから衣装も気にせず、MCも適当に、ステージでもっさりし、譜面とにらめっこをしていてもまったく意に介さないでいられるのです。
なぜなら、記号は合っている(譜面に従って――ジャズとして――正しく演奏できている)から。
人前で音楽を演奏するからには、観客を楽しませなくてはなりません。
しかし、既にこのシリーズで何度も述べていますが、記号合わせでは観客は楽しめません。
それを楽しめるのは、ごく一部のマニアか同業者でしょう。
では観客は音楽の何を楽しみに来ているのでしょう?
ひとことで言えばエネルギーです。
やる気、熱気、緊張感、表現は何でも構いません。
観客は記号の奥にあるエネルギーを感じたくてライブに足を運びます。
そしてそれを感じたとき、興奮したり感動したりするのです。
逆に言えば記号などはほとんどどうでもいいんです。
もちろん、最低限かそれ以上成立していないと困りますが、記号合わせが高度であればあるほどいい音楽になるのであれば、ジャズの現場はどこも超満員のはずです。
しかしそうではないのが現状です。
ざっくりと1930年代から60年代前半までは、ジャズにまだエネルギーがあったと僕は感じます。
現場にいなくても、音源から躍動感や緊張感、熱気などがひしひしと伝わってきます。
だからいつまでも色あせない魅力があるんでしょう。
また、この年代はジャズクラブも盛況だったそうです。
それは観客の耳が肥えていたからでしょうか? それとも単に他のジャンルがなかったから? メディアが取り上げていたから?
それらもあるんでしょうが、僕はジャズにエネルギーがあったからだと思います。
当時の観客は、今の音楽ファンと同じで、ジャズの漲るようなエネルギーを体感しにクラブに足を運んでいたと推察します。
元気いっぱいに踊って歌うアイドルを観るのと同じです。
仮にジャズミュージシャンに「もっとエネルギーを出せ」と言ったらどうなるでしょう?
鼻で嗤われるか、白い目で見られるか、「いやいや」と逆に説教をされるかもしれません。
それもそのはずで、ジャズミュージシャンはエネルギーを出すということが基本的にわかりません。
なぜなら、ジャズを始めてからずっと記号合わせしかしてきていないからです。
もしかしたらドラマーはまだ「エネルギー」とか「気合い」みたいなことが少しは重要視されているのかもしれませんが、他の楽器は全滅でしょう。
いちおうミュージシャン側から言うと、ジャズは記号合わせがあまりにも高度で、それを習得するだけでもひと苦労だから、エネルギーといったある種の抽象概念にまで手が回らなかった、ということが言えます。
また、音大やワークショップ、またはセッションなどの現場でも「エネルギー」を最重要視し、それを演奏で出すための具体的な方法を教える人は(たぶん)いません。
そういった経緯で、ジャズミュージシャンはいつしか「記号合わせ」が音楽そのものであり、それ意外の要素は全く関係ない、と勘違いしてしまうのです。
僕は2012年頃から演奏活動を辞めたのですが、その理由のひとつは、自分で自分が単なる記号合わせしかしていないことに気づいたからです(他にも理由はありますが)。
僕は「ジャズはレパートリーだ」と信じ、とにかくあらゆるスタンダード(ジャズと近しいジャンルも含む)を必死で覚えました。
数えたことはないんですが、200から300曲ぐらい覚えていたはずです(うろ覚えでも1コーラスさらえたら弾ける状態)。
セッションもライブもほとんど譜面を見たことはありませんし、ソングブックすら持っていきませんでした。
いつ何時、どんな曲がコールされてもすぐに弾ける、それがジャズミュージシャンだ! と思っていました。
しかし、それは単に数百曲の「記号」が合わせられるというだけで、中身を伴っていないということにあるとき気づいてしまいました。
その後色々あって音楽はエネルギーだと分かってきたのですが、話が脱線するので端折ります。
ジャズの記号合わせをやめ、エネルギー溢れる演奏を取り戻すためには、「入念なリハーサル」と「固定的なメンバー」が不可欠だと思います。
リハがなく、メンバーも流動的(悪く言えば寄せ集め)だから譜面という記号に頼らざるを得なくなるのです。
しかし、できるだけ固定されたメンバーでリハを入念に行っていくと、自ずと連帯感や結束が生まれます。
そうすると自然とエネルギーが出てき、観客にもそれが感じられたり、メンバーが一丸となっているように見えたりするはずです。
なんのことはない、ロックバンドならアマチュアでも皆やっていることです。
ただ、ジャズの現場でこのようなスタイルを維持するのはかなり難しい、というか現状無理でしょう。