ジャズの世界ではよく、即興での音のやりとりを”会話”にたとえられます。
しかし、僕にはそれらが全然会話しているように見えません。
そもそも、ジャズの世界で言われる会話とは、現代では記号と記号を合わせること、という意味でしか使われていないようです。
例えば、ソロイストがあるスケールを弾いたときにすかさず伴奏者がそれに見合ったコードをつけたり、特徴的なリズムが出たときにそれに合わせて合いの手を入れたり……。
そういった記号の応酬を、現代ジャズでは会話であるとされるのです。
しかし、僕には――そして恐らく多くの観客にも――それらが会話には見えません。
なぜなら、行き交っているのは記号だけで、肝心の人間同士は無視しあっているからです。
例えば、複数の人間が集まってスマホゲームに興じている様を想像してみてください。
やっている人たちは画面内で共同作業をしていたり、会話も成立しているのでしょう。
しかし、それを傍から見ているとどうでしょうか?
恐らく、不気味に見えるでしょうし、それが会話だとかコミュニケーションしているようには到底見えないでしょう。
なぜなら、ゲームをしている彼らは、個々にスマホと向き合っているだけで、人間と人間が関わり合っているように見えないからです。
現代ジャズもこれと同じです。
それぞれが個々に譜面と、あるいは自分の頭にあるイメージとだけ向き合い、人間は無視し、時間(タイム)だけをきっちりと合わせて、聞こえてくる記号に対して記号で返す……僕にはほとんどのジャズがこのように見えます(もちろん、昔日のは別)。
だから、スタバとかで楽しそうにしゃべっている人たちの方がよっぽどエンタメしてますし、見ていて楽しいです。
いくら高度な記号を瞬時に組み合わせて音楽を成立させていても、ほとんどのジャズの演奏では、Aさん(という人間)はBさん(という人間)に話しているように見えないし、Bさん(という人間)はAさん(という人間)に返答しているようには見えません。
だから見ていてつまらないし、お客がどんどん減っていくのでしょう。
ジャズの衰退を懸念する関係者は多いようですが、僕から言わせてもらうと、ミュージシャン同士がきちんと会話すれば自然とお客は戻ってくると思いますよ。
だって、そっちの方が見ていて楽しいですからね。
かっこいいお兄さんと綺麗なお姉さんが楽しそうに会話していたら、絵になるでしょ?
それだけだと思います。
ただ、この「音楽で人間と人間が会話している感じ、関わっている感じ」はほぼほぼ失伝してしまっているようです。
今なら還暦以上のミュージシャンでないとわからないでしょう(僕もそれぐらいの方に教えてもらい、そういった感覚を身につけることができました)。
そうした、人間と人間で行う即興音楽はこのまま滅びるのか、それとも誰かがまた掘り起こすのか……僕にはわかりませんが、たぶん滅びるでしょうwwwww
まーそれでいいんじゃないでしょうか。