いじる・いじられるという関係性はどこにでもあります。
何度か書いていますが、僕は長いこといじられる側の人間で、嫌な思いをたくさんしてきました。
といっても潰れてしまうほどでもなく、いじってくるやつはほっといて、あるいはそこから逃げて自分が正しいと思うことをずっとやってきました。
さて、齢40にもなり振り返ってみると、いじる側の人間というのは見事なほどに大成していません。
それどころか、早い段階で消えていったり、頭打ちになって成長しなくなったりというケースがほとんどです。
僕が知っているいじる側の人間で、大成した人は一人もいません。
ではなぜそうなるのでしょうか?
いじるという行為は、ある種の承認欲求から発生します。
誰かよりも上でありたい、認められたい、自分の価値を確認したい……、そこで手っ取り早く自分より下の人間を作り出して承認欲求を満たすのがいじるという行為の動機でしょう。
まだ何者でもない学生時代や無名時代、承認欲求に負けて誰かをいじり、満足するとします。
するとその人は早々と心が満たされてしまいます。
もちろんそんなことをしても自分は何も成長していないんですが、それが自分で分かっている人はいじりなんてくだらないことはしません。
だから、例えばギタリストなら、誰かをいじって満足することでギタリストとしての自分が成長したと錯覚しているのでしょう。
そうして彼/彼女は手っ取り早く承認欲求を満たすことでモチベーションが下がってしまい、それが成長を阻害するのでしょう。
逆に言うとそれだけいじるという行為は人間をダメにしてしまう魔力を持っているようです。
たった一人の、あるいは少数の人間を自分の配下に従え、服従させ、辱め、コントロールしているだけで自分がまるで王様にでもなったかのような全能感を得られるのだと思います。
そうなるともう努力したり、成長のために新しいことに挑戦したり、あえて自分から恥をかくなんてことは絶対にしなくなるのは目に見えています。
もちろん、ギターならギターを続けていればそれなりに成長はするのでしょうが、壁を壊して一つ上のレベルに上がるということはないようです。
だからやはり大成はしません。
これは私の願望ではなく、実際に起こっている出来事です。
いじられて悔しい思いをしている人や、心が壊れてしまった人は、今ではなく10年後を想像しましょう。
まず、間違いなくいじってくる人はどこかで止まります。
仮に生き残っていたとしても、たぶん実力は今とそう変わらないでしょう。
その間に自分がしっかりやることをやっていれば必ず逆転できます。
そしていざ逆転したとき、「なんで自分はこんなしょうもない人間にいじられて傷ついていたんだろう?」と心底どうでもよくなります。
まあさすがにいじられたから今の自分がある、だから感謝しているとは思いませんが、「あいつは今も嫌いだけど、いじられたことはあれはあれでよかったのかな」ぐらいには思えます。