前回の続き。
自分がデモや仮制作等にどう向き合ってきたか、そしてその結果どうなったのかを思い出して書いてみます。
僕はそもそも、何かを作るのが好きなので、10代の頃やっていたバンドでデモを作ったりするときは全力で作っていた記憶があります。
といっても今みたいにDTMもなかったしインターネットもなかったので制作内容はたかが知れてるとは思いますが。
ただ、僕があれこれやればやるほど周りの人間は何もしなくなり、どうせあいつがやるから…みたいな空気になっていったり、僕のことを調子に乗ってると勘違いしたやつから攻撃されたりするようになりました。
頑張っているのになぜかバカにされたり見下されるという状態が嫌になり、結果バンド界隈と縁を切って渡米しました。
大学時代は心機一転、何でも頑張ろうと意気込んでいたものの、大学生特有のサボるのが格好いい的なスタンスの人が多く、僕もまたすぐそれにあてられて、「課題は所詮課題、仕事でもないし真剣にやるのダサい。単位取れたらそれでええやんw」という考え方になってしまいました。
あと、やっていたのがジャズだったのであまりデモ制作みたいな機会がなかったと記憶しています。
24ぐらいで帰国し、あれこれやってみることにしました。
この頃はかなり虚無的で、何をするにも「どうせこんなもん」みたいなスタンスだったと記憶しています。
そんなだから当然何をやっても上手くいきません。
上手くいかないからまた「どうせこんなもん」と虚無が加速する。
でも虚無的なわりにはあれこれ行動はしていた記憶があります。
そんな中転機が訪れました。
確か28歳~29歳の頃、なんかもうやることがなくなってきてどうしようかと迷っていたとき、ふと教則本でも書いてみようかと思い立ちました。
その時点で脱力やフォームについてはある程度しっかりした知識と成果が出ており、本もずっと読んできたので、たぶん書けるだろうと。
当時はブログすらたぶんなかった時代で、今のように気軽に文章を書くという習慣はありませんでしたが、思い立ったらすぐやる性格が幸いし、結果「ギタリスト身体論」となる教則本を書き始めました。
ちなみに、出版社にコネ等は全くありません。
僕のプランは、
1、とりあえず1冊の本になるぐらいの文量を書く
2、それを出版社に送る(どこかはまだ決めてない)
3、出版できなければネットで公開する
これだけです。
あと、これが上手くいかなかったらギターは引退してどっか外国に移住しようと考え、親にもそういう話をしていました。
確か「好きにし~」と言われた記憶があります。
そう、この制作が僕にとっても<何のあてもないデモ制作>にあたります。
知名度もない、コネもない、出版経験もない、本を書いたこともない、そんな一人のギタリストが進退をかけて制作する……
そういう状況だったからか、それまでの虚無が嘘のように消えて、毎日熱にうかされたように書いていました。
だいたい毎日5~6時間、完成まで半年ぐらいかかったと思います。
もちろん一切手は抜いていないし、書きあげた原稿をそのまま修正なしでも出版できるというレベルまでブラッシュアップしました(出版に際しめちゃくちゃ修正はしましたが)。
結果は皆さんご存じの通り、2009年に中央アート出版社から出版され、すぐに話題となり、その後2冊目、3冊目と出せるようになりました。
その経緯を述べると、原稿を書きあげ、持ち込みOKの出版社に郵送(たしか5社ぐらい)、2社はスルー、2社は出版断念の連絡、そして1社(中央アート)から出版の提案がありました。
その後中央アート出版社と出版計画を進めていき、半年後ぐらいに無事出版。
これがデモ(この場合原稿)を全力で作った結果です。
全力でデモを作れば必ず成功するとは限りません。
恐らく9割のコンテンツはボツになるか誰も相手にしてくれずに流れていくでしょう。
が、それでも必ず何かが自分に還元されます。
また、全力で創作し続ければ自分の全力のレベルが上がっていくので、どこかで人の心にタッチできる水準に到達することができるはずです。
なので何かを創作している人は腐らずに全力を出しましょう。