八幡謙介ギター教室in横浜講師のブログ

横浜のギター講師八幡謙介がギターや音楽について綴るブログ。

デモ、習作、仮制作は全力で作らないと意味がない


八幡謙介ギター教室in横浜

楽曲のデモ音源、小説の習作、漫画のネーム、仮デザイン等々、誰かに見せて(聴かせて)意見やアドバイスなど反応をもらうという機会があったとき、絶対に守らないといけないルールが存在します。

それは、全力で取り組み、そのときの自分の実力を100%注ぎ込むということです。

以下音楽で説明しますが、ミュージシャン志望でない人は自分の分野に変換して考えてください。

 

例えば、自分の曲を上の人に聴いてもらうチャンスが訪れたとしましょう。

そのとき、多くの人が特に何も考えずに手を抜きます。

また、手を抜いているという感覚すら自覚していない人がほとんどです。

彼らの考えはおおよそこんな感じでしょう。

 

・どうせあれこれ修正させられるし

・ガチガチに作ったのを崩して直すのめんどくさいからほどほどにしておく

・手を抜いた部分はそちらの想像力で補完しといてね

・そもそもこれ、仕事じゃないし

・対価ももらえないのに全力なんか出してられない

・仕事としてオファー来たら全力でやるよ

・プロ目指してるのに無料で全力出すのは馬鹿げてる

 

結論から言うと、これをやっているといつまでたってもプロになれません。

 

ちなみに、僕も学生時代はこんな感じでした。

が、今考えれば「ギタリスト身体論」制作時になぜかスイッチが入り、そしてまさにこの本で世に出ることになりました。

 

そして現在若い子の演奏や音源を聴いてあげる立場になり、上記の姿勢がいかに危険か、いかに自分の首を絞めているかが分かるようになりました。

以下、デモを聴く側の心理をご説明します。

全力を出していないデモを聴いている側の心理

・舐めてると感じる

まず単純に、適当な音源を聴かされたら『こいつ、舐めてんな』と感じます。

せっかく真剣に聴いて真剣に向かい合おうとしているのに、適当な音、あってないようなアレンジ、簡単に付けただけのコード、とってつけたようなメロディだと、二度と聴きたくなくなります。

 

・実力が分からない

単純に、全力を出してくれないとその人の実力が分かりません。

例えばドラムパターンを簡単なリズムのコピペで済ませて、デモだからとフィルすら入れていない場合、こちらは『この人はドラムが聞けてないんだ』『音源のドラムは全部こういう感じに聞こえてるんだ』と判断するしかありません。

『これはデモだからあえて簡素化してるだけで、本当はドラムをちゃんと作れる人なんだろう…』と想像することはできませんし、めんどくさいからそんなことしません。

聴かされる側は、そもそもそこにあるものでしか判断しないのです。

余力を残してるなと理解できても、その余力の量や質は基本想像できません。

仮に7割の力で作られたデモだったしたら、聴く側はそれが10割と判断します。

だから、デモに注ぐ力をセーブすればするほど単純に損をします。

デモを全力で作ると

・全力は伝わる

聴く側は、制作者の余力については基本分かりません(分かろうと努力しません)が、全力を出しているかどうかは分かります。

そして、全力が出されているとどこか清々しい気持ちになれます。

それがどういうアクションにつながるかは分かりませんが、好印象を持たれることは間違いないでしょう。

 

・伸びしろが見える

全力が見えると、そこからの伸びしろも見えます。

足りない知識、聴いておくべき音源やジャンル、壊すべき壁などなどがはっきり見えるので、具体的なアドバイスにつながります。

 

・クリエイターとしての気概が見える

仕事でもない、報酬もない、ボツ前提のデモ制作に全力を注げる人だと分かると、そこからクリエイターとしての気概が見えてきます。

あ、この人本気なんだ……とそこで初めてわかります。

そうなると、人によっては『こいつ鍛えてやろうかな』『一回現場連れてってみようかな』と、関係性の構築を模索する場合もあるでしょう。

デモで全力を出さないことの弊害

デモ制作で全力を出さずに力をセーブすると、だんだん本人に弊害がおよんできます。

それについてもご説明しましょう。

 

・いざというとき全力がだせなくなる

人間は本能的に疲れることはしたくありません。

だから一度力をセーブすることを覚えると、それが基準になり、全力が出せなくなってしまいます。

「プロとしてオファー受けたら全力でやるよ。けどデモは抜くからw」とやっている人は、いつしか大事な案件でも全力が出せなくなってしまいます。

そうして自己評価を落とし、仕事が決まらない、続かない……その結果消えていった人はいくらでもいます。

一方で、学生時代のちょっとした課題や、どう扱われるか分からないデモに不思議なくらい全力を注げる人は、後々めざましい活躍をしています。

デモ制作は全力を出す練習だと思ってそのときの自分の全てを注ぐべきです。

そうすれば自然と道は開けていきます。

 

・コスパ、タイパに潰される

デモだから手を抜く人は、総じて言うとコスパ(コストパフォーマンス)、タイパ(タイムパフォーマンス)を重視しているということでしょう。

お金ももらえないのに全力出すのはコスパが悪い、どうせ世に出ないし修正されるものに時間をかけるのはタイパが悪い。

その結果自分が評価されずに埋もれていき、やがてクリエイターを諦めることになったらどうでしょう?

それが一番コスパ・タイパが悪いですよね?

そう考えると、デモに全力を注ぐことは実はコスパ・タイパのいい行動だと分かります。

デモ(仮制作)に全力を注いだ結果

既に述べた通り、僕もデモの類いには全力を出せないタイプでした。

その時期は本当に何をやってもダメでしたね。

ただ、「ギタリスト身体論」を書いたことで全てがかわりました。

やや主題が変わるのでそこらへんの心境やその後の変化は次回ご説明します。