楽器の練習と時間については昔からよく議題となってきました。
「1日何時間練習すればいいの?」
「1日何時間練習すればプロになれるの?」
「プロになった人は1日何時間練習してたの?」
「この練習を何分やれば上達しますか?」
「俺は昔1日12時間練習した」
「いや、俺なんて15時間練習した」
……
こういった話は全てナンセンスであり、何の意味も価値もありません。
なぜかというと、楽器の練習や習得において、計測できるレベルの時間で得られるものは何もないからです。
たった1日、あるいは数日12時間練習した程度で上達なんてしないし、毎日5時間の練習を数年やったところでたかが知れています。
一方で、何か一つのことがきっかけで一気に上達したり、突然理解できるようになったということもあります。
楽器の練習や上達に「時間」という概念はほとんど意味を持ちません。
そもそも楽器の練習において、「時間」に対する根拠を示せる人はたぶんどこにもいません。
例えばよくある練習内容として、「毎日1時間スケール練習する」というものがあります。
そもそも1時間という区切りの根拠は何ですか?
なぜ50分でもなく、65分でもなく、「1時間」なのでしょう?
おそらく、学校の授業がだいたい1時間だからでしょう。
あるいは単に区切りがいいから。
どう考えてもそれ以上の意味はありません。
また、毎日1時間のスケール練習を実行するのはいいとしても、続けていれば変化が起こります。
それにはどう対応するのでしょう?
指がなめらかに動くようになってき、スケールのポジションも把握できてきた、それでもまだ「1時間」なのでしょうか?
その根拠は?
できてきたら時間を減らすとしたら、何を基準にどれくらい減らすのでしょう?
そういったことを考えていくと、練習を「時間」で計ることが無意味だと分かってきます。
「時間」とはあくまで練習内容や意欲、その日の体力や集中力に追随する”従”であり、「時間」それ自体が練習の”主”ではないのです。
また長期的に見たときに、本質的な技術の上達や認識のレベルアップは「時間」という単位を乗り越えた「年月」で可能となります。
それも1年や2年ではありません。
最低でも5年単位です。
もはやそこには「時間」という小さな単位では測れない量の時間があります。
「年月だって時間で計れるだろ?」と思う人もいるかもしれませんが、年月と時間はもはや別の単位で単純に比較できるものではありません。
例えば二人のギタリストがいるとします。
Aは1日1時間の練習を週4日、10年間行ったとします。
時間にすると約1920時間。
Bは1日3時間の練習を毎日3年間行ったとします。
時間にすると約3024時間。
AとBは同じ時点で上記の時間を満了したとします。
「時間」で考えるとBの方が1000時間も長く練習していますが、「年月」はAの方が7年も長くかけています。
さて、単純な技術や知識はもちろん、音楽としての深みや味、認識においても、僕はAの方が高いレベルにいるのではないかと思います。
なぜなら、「年月」は「時間」を凌駕する力を持っているからです。
もちろん、「時間」の密度が「年月」を凌駕する事例もあるにはありますが……
これから楽器の習得をめざして日々練習している人は、自分に課した(課された)時間について一度よくよく考えてみましょう。
また、「年月」といえるだけの単位を楽器と共に過ごしてきた人は、そこに何があったのかを一度掘り起こしてみましょう。
いずれも何か見えなかったものが見えてくるはずです。