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「好き」がこじれると、人は小さな独裁者になる

サウンドハウス

「好き」という感情は基本的にはいいものです。

一方「嫌い」という感情はあまりよしとされません。

しかし、これらの感情をよく観察してみると、「嫌い」の方がわりと平和的に収まることが多く、「好き」の方が他者に迷惑をかけたり攻撃的になるケースがあると思えてきます。

 

人は何かを嫌うと、だいたい対象から距離を置きます。

そして、対象がその距離を犯さければ嫌いなものとの接触が起こらないので、平和が保てます。

「嫌い」と自認し、公言する対象にわざわざ接触を試みる人は、結局それが「好き」なんだと思います。

 

また、「嫌い」は基本的には単なるステートメント(声明)であり、それ自体が攻撃や排斥ではありません。

例えば僕はキノコが嫌いなんですが、それ自体がキノコという植物やキノコ栽培者、キノコ愛好家への攻撃ではありません。

ただ単に僕が嫌っていて、食べないというだけです。

キノコを食べる人に対し何の感情もないし、食べるのをやめさせようとしたこともありません。

目の前でキノコを食べている人がいても平気だし、何なら鍋に入っていても自分が食べなければ問題ありません。

だから今までキノコが嫌いなことでトラブルになったことは一度もありません。

そういったステートメントでしかない「嫌い」に、「好き」側の人はなぜか干渉したがります。

「キノコは美味しい」「美味しいキノコを食べたことがないだけだ」「人生損している」「山で遭難して目の前にキノコがあったら食べないのか」「騙されたと思って食べてみ」などなど。

一度僕のキノコ嫌いを知っていて、わざと僕の前でキノコを注文して、ニヤニヤしながら食べていた人がいました。

平和的にキノコを嫌っている僕に対する、攻撃的な干渉です。

僕は内心『アホだなーこいつ』と思ってはいましたが、別に何も言いませんでした。

 

まあキノコはいいとして、これが趣味嗜好、スポーツ、さらには政治や宗教になると「好き」側の干渉はヒートアップしていきます。

最近は減りましたが、ジャズ批判をしはじめた頃は僕のステートメントに対して攻撃してくる人が大勢いました。

脅迫や殺害予告も受けたことがあります。

要するに「自分の好きなジャズを批判するなんて許せない!」ということでしょう。

「好き」という感情は、そうした攻撃性を十分はらんでいるということです。

 

改めて考えてみると、自分の好きなものへの批判は認めない(言論封殺)、好きになってもらうよう働きかける(洗脳)、いやがらせや誹謗中傷も辞さない(攻撃)……これって独裁者のやることですよね。

だから僕は、「好き」がこじれると人は小さな独裁者になると思っています。

他人はともかく、自分はそうはなりたくないので、自分の好きなものに対する批判や反対意見は積極的に耳を貸すようにしています。

まあそもそも、感情がこじれるほど好きなものって別にないのですが。

音楽、アニメ、アイドル、文学……どれも好きだからこそ客観視したいと僕は考えます。

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