最近、「好きなことをやるのが一番」「好きならなんでもできる、困難に耐えられる」といった文句をよく目にします。
確かにそれは一理あります。
しかし、「好き」の力が継続するのは長い目で見るとほんのわずかな時間でしかありません。
だいたい何でも5年を越えると好きだけではどうしようもなくなってきます。
だから僕は、長い目で見て「好き」をあまり過信しないように教えています。
「好き」だけでは続かないという格好の例として、結婚があります。
結婚は「好き」の結晶です。
今どき誰かの命令で嫌々結婚するカップルはいないでしょう。
では好き同士で結婚したら必ず一生添い遂げるのかというとそうでないことは周知の事実です。
日本の離婚率は35%前後、3組に1組は別れてしまうのが現状です。
また、結婚は3年目で破綻しやすく、5年目の離婚が多いとされています。
「好き」で結婚し、生涯添い遂げることを誓ったのに、たった5年で終わりを迎えるカップルが3組に1組存在するのです。
そう考えると「好き」の持続性というものを疑いたくなるのは当然でしょう。
これは音楽においても同じです。
だいたい楽器を始めて3年から5年ぐらいがひとつの山場となります。
もちろん、好きという気持ちだけでもっと続けられる人もいるにはいますが、それも持って10年、最大で15年ぐらいでしょう。
それ以上はもはや「好き」という感情だけではどうしようもありません。
じゃあ嫌いかというともちろんそうではなく好きは好きなのですが、好きだけでは乗り越えられないものがあるということです。
ここでひとつ見えてきたことがあります。
昨今「好きなことをやればいい」と言っている人たちは、ほぼ全員ネットの申し子です。
彼らのヴィジョンは、ライフタイムという観点から見ると常に点であることが特徴です。
ビジネスにしろアートにしろ、彼らは<今>を的確に捉え、そこから直近5年ぐらいしか考えていないだろうということは動画などでわかります。
そっから先なんて時代がどうなるかわかんないからそのとき考えればいいというスタンスです。
これはちょうど「好き」がぎりぎり継続する期間とマッチします。
だからネットの申し子、インフルエンサーの人たちは短期を想定した上で「好きなことをやれ」と口をそろえて言うのでしょう。
しかもそれ(短期想定)は前提の話なので言葉として説明されないことが多いです。
彼らの「好きなことをやれ」は、
「(5年以上先のことはわからんけど直近5年未満ぐらいなら勉強すれば世の中がどうなっていくのかなんとなく見えるからその範囲で)好きなことをやれ」
です。
これを
「(ライフタイム全てを費やすことを想定して)好きなことをやれ」
と捉えると地獄を見ます。
「好きな人と結婚するのが一番」という適当なアドヴァイスを信じて実行したら地獄を見たなんてエピソードはいくらでもありますよね。
それと同じです。
楽器にしろ他のアートやスポーツにしろ、それを短期(5年程度でやめる)で捉えているなら「好き」に忠実で構いません。
しかし、それ以上のもの、ましてや一生のものとして考えるなら「好き」は十分に警戒し、疑うべきでしょう。
じゃあどうすればいいかというと、そこはまだ分かりません。
僕は今年でギターを27年ぐらい弾いていますが、自分がなぜこんなに長くやれているのか自分でも全く分かりません。
さすがにここまで来ると自分の意志で続けているというよりは、何かの力でやらされている、与えられている感じすらします。
確実に言えることは、今の僕にギターや音楽が「好き」という概念はありません。
もはやそんな低次元の話ではないです。