現代ではバズやSEO評価を狙ったコンテンツの創作、パフォーマンスが当たり前とされています。
もちろん僕もSEO評価を気にしてこのブログを書いています。
ただし、あんまり狙いすぎないようにはしています。
特に教則本に関してはその辺は一切考えていません。
なぜかというと、受け手は作り手の狙いを簡単に見抜くからです。
これまでライブや本の執筆などをしてきて、読者やリスナーがどれだけ敏感にこちらの意図を察するかということを思い知らされてきました。
会ったこともない人から創作時のこちらの感情や心の動きまでピタリと言い当てられたこともあります。
また逆に、何かを観たり聴いたりして、作り手やパフォーマーの創作態度や感情がこちらに写ってきたことも何度もあります(それは年々鋭くなっています)。
受け手は作っているあなたが想像する何百倍も敏感に、そして深く察することができます。
それを重々承知して創作やパフォーマンスをしないと、間違いなく痛い目を見ることになります。
まあ、そうやってアーティストは成長していくんですが…
さて、仮にあなたが「友情」をテーマに何らかの作品を作ったとします。
あるいはそういった歌を歌うということでもいいです。
そのとき、あなたの心が「バズりたい!」という気持ちで溢れているとしましょう。
もちろん、バズらせるためにいろんな工夫をします。
そうして完成した作品から受け手は何を感じるか?
本来のテーマである「友情」よりも「バズりたい!」という意志(野心)の方を強く感じるでしょう。
そうなると、結果、あなたは「友情」ではなく、「自分はバズりたい!」という表現をしたことになります。
もちろん自分自身は「友情」を表現したはずですが、あまりにもバズりたいという気持ちが強くて、受け手からすればそれしか感じられず、結果その作品から本来のテーマである「友情」が消えてしまう……という現象が起こります。
場合によっては歌や絵などが全部消えて、ただただ「バズりたい!」しか見えないという醜悪な結果になることもあります。
僕自身作り手としても受け手としても、何度もそういった現象に出会ったことがあります。
YOUTUBEの「歌ってみた」などはその良い例でしょう。
どんなにいい歌でも、そこから「今このタイミングで自分がこんな歌をUPしたらきっとバズるぞ!」が全面に出ていれば聴く気が失せます。
創作やパフォーマンスは、どんなに隠そうとしても、今自分が強く思っていることが絶対に出てしまいます。
作った直後は分からなかったり、うまく隠し通せたと思っていても、後年になるとやっぱり出ていたと再発見することも多々あります。
あるいは、隠せていると思っているのは自分だけで、受け手には全てお見通しということもあります。
だから怖いし、面白いのです。
今何か創作やパフォーマンスをしている人は、一度バズだのSEOだのといったテクニックを忘れて、今の自分を全部出してみましょう。
必ず何かが変わります。
また、そういった創作は検索やネットの流行とは無縁のところでいつまでも残ってくれるものです。