椎名林檎はデビューした頃好きで、ファーストはかなり聴いていましたが、その後は全くといっていいほど聴かなくなりました。
じゃあ嫌いかというと別にそんなことはなく、でも好きではなく、尊敬も軽蔑もなく、楽曲は耳に入れば普通にいいなとは思います。
しかし、ファースト以来音源を手元に置いて楽しもうとは思わなくなりましたし、ファーストもある時期から全く聴かなくなりました。
また、なんで自分は椎名林檎を聴かないのかと分析したこともなく、しようと思ったこともありませんでした。
「嫌い」なアーティストや、興味あるけどなんかイマイチいいところがわからんアーティストは答えが出るまでそれこそ10年でも20年でも聴き返します。
例えば以前炎上したゲイリー・ムーアとか。
↑この人なんて「嫌い」という結論を出すのに25年ぐらいかけています。
そんな中、先日関ジャムで椎名林檎特集をやっていたのを観て、『あ、なるほどな』となんとなく腑に落ちたところがあったのでまとめておきます。
一言でいうと、椎名林檎って不気味なんですよね(容姿は美しいと思います)。
なんでそう感じるのかというと、普通、アーティストは自分が持っているエネルギーで熱を発生させます。
その熱で自分を動かし、作品をつくったりパフォーマンスしたり、また人を動かしたりします。
その熱は他人から見てもすぐに分かります。
いわゆる「熱い人」がそれです。
しかし、椎名林檎は自分のエネルギーで自分を熱するのではなく、まず自分を冷やしているような感じがします。
例えるなら冷蔵庫のようなものを構築している感じ。
そして、その冷蔵庫の中に微笑を浮かべながらいろんなものを保存していき、それを必要に応じて形にしたり、出して動かしたりしている……そんな印象を受けます。
実際、作品からは「生まれた」というよりは「配置された」印象を強く受けます(アニメだと虚淵玄さんの脚本と同じ印象)。
今まで彼女の音楽からはそうした冷たさというか、冷酷さのようなものを感じていたように思えます。
といっても「冷めてる」ということではありません。
情熱はちゃんとあるはずです。
ただ、その情熱でもって熱するのではなく、冷やして冷やして、その後に慎重に構築されたのが彼女の楽曲という印象です。
その、情熱があるのに冷たいという矛盾を不気味に感じ、僕は椎名林檎を無意識に敬遠していたのでしょう。
先日関ジャムを観たときも、しゃべる椎名さんがあまりにも不気味で全部観られませんでした……
失礼を承知で言うと、伝説のエリザベート・バートリーってこんな女性だったんだろうなという確信すら抱いたほどです。
と、このような冷たい印象(いわゆる「冷めた」ではない)がぬぐえないので、何度聴いても入ってこないし、こっちからもつかみに行く気がしません。
コード進行の分析とか表面的なことは過去に教則本でやったことはありますが。
これを書いていて改めて椎名林檎のMVをいくつか観てみましたが、やはり情熱を持って自分を冷やしているという印象は変わりませんでした。
いくつか観ると、だんだんMVに登場する本人やバンド、音楽の後ろに本体の椎名林檎がいる印象を強くしました。
我々が観ている椎名林檎は、冷静・冷酷な本体が動かしている何かに過ぎません。
だからどんなに情熱的なロックでも、暖かいバラードでも、可愛い格好をしていても、彼女の作品から冷たい印象が消えることはありません。
僕はその冷たさが好きじゃないです。
だから椎名林檎は聴きません。
もちろん、それが好きな人にはたまらないのでしょうが。