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日本人が好きな「まず、ちゃんと」論のおかしさについて


八幡謙介ギター教室in横浜

日本人は、音楽や様々なアートにおいて、「まず、ちゃんと」という考え方が大好きです。

もう少し詳しく言うと、「まず、ちゃんとした技術を身につけて、そこから独自のパフォーマンスや創作を行っていくべき。どれだけ面白くて、人気があっても、ちゃんとした技術がなかったらダメ」という考え方です。

また、ノイズやフリージャズなど、ちゃんと弾かないことで成立しているジャンルについても、それらの音楽性うんぬんを抜きにして「ちゃんと弾けてないからダメ」だとか、「これはこれでありだけど、それはそうと、この人達はちゃんと弾けるのだろうか?」とまず考えてしまいます。

一方で、パンクロックやグランジについてはなぜかそういったことを言いません。

この「ちゃんと」論のおかしさは、各ジャンルに必要不可欠なフィーリングやテイスト、タイム感、グルーヴ感などを無視して用いられている点にあります。

ピッキングはちゃんと均一に、フィンガリングはちゃんとスムーズに、バタバタせず、タイムはちゃんとジャストに、演奏はちゃんと正確にミスなく……。

想像してみただけで、面白みのない、またどんなジャンルにも合わない演奏だとわかります(だからこそどんなジャンルでもできていると勘違いしてしまうのですが)。

 

音楽において、「ちゃんと○○する」と考えるとき、ジャンルの絞り込みは絶対に必要です。

なぜなら、それぞれのジャンルにおいての「ちゃんと」は、ときに180度違っているからです。

また、同じジャンルでも目指す演奏によっては「ちゃんと」は全く違ったものになります。

例えば、僕にとってジャズをちゃんと弾くということは、タイムが揺れることです(もちろんそれ以外にもありますが、話を簡単にするため省略します)。

しかし、日本のジャズシーンでは、正確なタイムで演奏することがジャズをちゃんと弾くことになっているそうです。

そうやって(技術的に)「ちゃんと」弾くからジャズからテイストがなくなり、結局昔のものが一番!といつまでも言われ、今のジャズに誰も見向きもしなくなるのだと僕は思いますが、そういった意見は全く通りません。

その他にも、ちゃんとした技術で演奏されるパンクロック、ちゃんとした発声法で伸び伸びと歌われるボサノヴァなどなどを想像してみれば、技術的な「ちゃんと」がジャンルのテイストを殺してしまうということは容易に想像できます。

また、音楽や芸術の歴史を紐解けば、時代時代において革新的な何かを残して来た天才は、ちゃんとしていません。

後々に理論付けられてちゃんとした何かとして解釈された、というだけです。

もし、ちゃんとする何かがあるとすれば、ジャンル特有のテイストを出すことでしょう。

ロックならロックのテイストをちゃんと出す、ジャズならジャズのテイストをちゃんと出す。

演奏技術はそのためだけにあると言っても過言ではありません。

恐らくそのテイストがわからないから、単なる技術に頼ってしまい、いつしかそれが唯一の概念となってしまい、一見技術不足の演奏(でもテイストはしっかりある)を揶揄するようになるのでしょう。

かのマイルス・デイビスも、批評家にしばしば「練習不足」と言われていたそうです。

もちろんこれは見当違いだということは言うまでもありません。

 

日本人は正確な技術が大好きですし、そうした技術は物理的概念として誰にでも――音楽的深みを持たない人間でも――判断でき、優劣がつけられます。

だから皆この概念に飛びついてしまうのでしょう。

しかし、そこには本当に何もありません。

まあその辺は歳とったら分かります(いつまでも分からず、ピロピロ競っている人もいますが)。

「ちゃんと」したい人は、せめて自分が演奏するジャンルの「ちゃんと」を模索するようにしましょう。

また、そのジャンルの「ちゃんと」と、別のジャンルの「ちゃんと」を比べてみると、色々見えてくるものがあると思います。