前回の続きです。
同レベルでの健全なライバル関係を持ち、切磋琢磨するのも成長につながるのではないかという意見がありました。
確かに、それでも成長はするでしょう。
ただし、それはそのレベルで見えているところまで、です。
人は、例えばギターならギターを学び始めたとき、一番上まで見えているという勘違いをしています。
自分は今は全然弾けない、でも一番上に見えているあそこまで行けば自分も一流になれる、という勘違いです。
その、今見えている一番上の何かは、今の自分レベルで見えている一番上というだけで、本当はそこから見えないところにさらに上があります。
たとえるなら、今見えているのが第一層の一番上まで、でも実は第二層も第三層もあるのです。
で、第一層にいる人は第一層の天井しか見えないし、その上があるのも分からない、第二層にいる人は第二層の天井しか見えないし、その上があるのも分からない、と言えば理解できるでしょうか?
同レベルとの切磋琢磨による成長は、第一層なら第一層での出来事にすぎません。
そして、ずっとそこにいると、第二層があるということすら気づかずに成長が止まってしまう可能性が高いのです。
そこで、上の人と接触する必要性が出てきます。
例えば、先輩や上手な人と話していて、話が全然かみ合わないことってありますよね?
自分「○○(アーティスト)ってめっちゃ上手いっすよねー!」
先輩「ん~、まあ、上手いんだけどね……ちょっと△△が@@なのが$$でさ…」
自分「え?」
先輩「あ~(苦笑い)ゴメンゴメン。まあ、そのうち分かるよ」
自分「……」
といったような、微妙な空気が流れる瞬間。
これが正に第一層の住人(自分)と、第二層かもっと上の住人(先輩)の会話です。
自分は音楽の上の上まで全て知っている、見えているつもりで話しているけど、先輩からしたら『こいつはまだそこか、浅いな、俺のいるところが見えてないんだろうな、でも言っていいのかな、傷つかないかな……』と気を使って言葉を濁している状態です。
一昔前なら先輩から『お前、なんもわかってへんな』『ガキが能書き垂れんなや』『そのレベルの話どーでもええわ』『そんなん聞いておもろいん?』などと一蹴されるでしょうが、今はあんまりそういう文化もないですからねえ。
だからますます上の層が見えにくくなっているのではないかと思います。
第一層の住人は、こうやって上の層の住人と接触し、違和感を感じ、あるいは無理矢理そっちに引き上げられて初めて自分が見たこともない上の世界があるということを知ります。
同じ層の住人(同レベル)同士の切磋琢磨ではそれは無理です。
だって、相手も、仲間の誰も上の層を知らないのですから。
一方で、無茶ぶりしてくる先輩や、無理難題(と自分には思える)な課題を出してくる先生は、あなたに上の層を見せてあげようとしてくれているのです。
どちらと付き合うべきかは明白でしょう。
とはいえ、上の層に上がるのは並大抵のことではありませんし、どこが第一層でどこから第二層なんてはっきりしているものでもありません。
後々になって、そういえばあの出来事で自分が全部変わったなあ、というのが上の層に上がった瞬間です。
俗に言う、世界が広がるとか、扉が開くといったのと同じです。
あと、このたとえは技術の話ではないので。
音楽や芸術に対する認識全てです。